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山口地方裁判所 昭和40年(行ウ)7号 判決 1973年3月29日

原告 多治比丈夫 外四名

被告 山口県教育委員会

主文

被告が昭和四〇年三月三一日付で原告多治比丈夫、原告久保輝雄および原告五十川偉臣に対してなした各懲戒免職処分ならびに原告国光日出生および原告原田昭夫に対してなした各停職処分をいずれも取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告ら

主文と同旨の判決

二  被告

「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告多治比丈夫(以下、原告多治比という。)は昭和三一年四月から、原告久保輝雄(以下、原告久保という。)、原告国光日出生(以下、原告国光という。)および原告原田昭夫(以下、原告原田という。)は昭和三六年四月から、いずれも山口県宇部市立厚南中学校の教諭であり、また原告五十川偉臣(以下、原告五十川という。)は、昭和二七年四月から、山口県大島郡橘町立安下庄中学校の教諭であつた。

2  被告は、昭和四〇年三月三一日、原告らに対し、次のとおり懲戒処分(以下、本件処分という。)をした。

(一) 原告多治比、原告久保および原告五十川に対し、いずれも懲戒免職。

(二) 原告国光に対し、停職六月(昭和四〇年四月一日から同年九月三〇日まで)。

(三) 原告原田に対し、停職四月(昭和四〇年四月一日から同年七月三一日まで)。

3  しかし、本件処分は違法であるから、原告らは本件処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する答弁

請求原因事実を認める。

三  被告の主張―本件処分の適法性

1  昭和三九年度全国中学校学力調査の実施

(一) 文部大臣は、各都道府県教育委員会に対し、昭和三九年四月一四付調調第五六号「昭和三九年度全国中学校学力調査について」と題する初等中等教育局長、調査局長連名通達をもつて、次の要領により昭和三九年度全国中学校学力調査(以下、本件学力調査という。)を実施し、その結果を文部大臣に報告すべきことを求めた。

(1) 調査の対象 公立・私立および国立中学校の第二学年および第三学年の全生徒を対象とする。ただし、特殊学級の生徒および英語については現に英語を履修していない生徒を除く。

(2) 調査する教科 国語・社会・数学・理科・英語の五教科

(3) 調査の期日および時間割

時限

期日

1

2

3

六月二三日

国語

数学

英語

六月二四日

社会

理科

ただし、第一時限は九時から九時五〇分まで、第二時限は一〇時一〇分から一一時まで、第三時限は一一時二〇分から一二時一〇分までとする。

(二) そこで、被告は、山口県下各市町村教育委員会に対し、昭和三九年五月一二日付教総第四三四号「昭和三九年度全国小・中学校学力調査の実施について」と題する教育長通達をもつて、本件学力調査を文部省の指示に従つて各市町村の中学校で実施し、その結果を被告に報告すべきことを求めた。そして、山口県下各市町村教育委員会は、管内の各中学校長に対し、本件学力調査を昭和三九年六月二三日および二四日に実施すべきこと、校長が当該学校における本件学力調査の管理運営の責任者となることならびに当該学校の教員をテスト担当者に命じて校長の補助者とし、配置された教室におけるテストの管理運営を行なわせることを指示し、右指示に基づいて、各中学校で右両日にわたり本件学力調査が実施された。

2  全国中学校学力調査に対する原告らの態度

原告らは、いずれも日本教職員組合(以下、日教組という。)所属の山口県教職員組合(以下、県教組という。)の組合員であつて、全国学力調査の実施された昭和三六年から、その目的を文部省が学力の内容を権力的に決定して教育内容および国民の思想を統制し、教育の自由を教師から奪い、教師と子どもを文部省が直接管理することによつて、義務教育段階から幹部要員(進学組)と単純技能労働者(就職組)を差別し、資本家(企業)の要求に見合つた労働市場を開発することなどにあると解釈し、右学力調査の実施を強く反対する態度をとつてきた。

3  原告五十川を除く原告らに対する処分事由

(一) 原告多治比、原告国光および原告原田は、本件学力調査に反対する目的で、その実施に先立ち、授業時間中生徒に対し、再三にわたり、「学力テストは違法であり、同旨の裁判例がある。学力テストは人間に差別をつけるために行なわれるものであり、その結果は一生ついてまわる。」などと話をして本件学力調査の受験を拒否するように教唆煽動した。

(二) さらに、原告五十川を除く原告らは、本件学力調査の実施に反対するため、次のとおり一連の服務上の義務違反行為を行なつた。

(1) 昭和三九年六月二〇日の違反行為

原告久保は、山本校長が職員朝礼の際に本件学力調査実施の職務命令書を各担当教師に配付したことに抗議し、その撤回を求めるため、同朝礼終了後、授業時間中であるにもかかわらず、組合員全員を礼法室に集合させ、二〇分ないし三〇分ぐらいの職場会を開いた。

さらに、原告久保および原告原田は、右職場会終了後校長室におもむき、山本校長に対し前記職務命令の撤回を要求して職員会議の開催を強要し、一一時ごろから正午過ぎまで職員会議を開催させた。

(2) 昭和三九年六月二二日の違反行為

(ア) 原告原田は、職員朝礼の冒頭、山本校長に対し、前記職務命令書を郵送したことをなじるとともに、「当日混乱が起こつても知らないぞ。そういうことで学力テストをやれるものならやつてみい。今後学校運営が麻ひするぞ。」などと暴言をはいて、強く前記職務命令の撤回を迫つた。

(イ) 原告原田は、生徒朝会において、山本校長が生徒に対して本件学力調査の実施について訓示したとき、生徒の列の後方から多数の生徒が振り返つたほどの大声で、「職員会議ではまだ決まつていないぞ。」と叫んだ。

(ウ) さらに、原告原田は、右生徒朝会終了後、授業時間中であるにもかかわらず、組合員全員を礼法室に集合させて職場会を開催した。

(エ) 二時間目の終了前に職員会議が開催され、同会議は午後三時まで継続されたが、その席上、原告五十川を除く原告らは、主導的立場に立つて、他の組合員とともに山本校長に対し、廊下を通る生徒に聞こえるような大声で、激しくかつ執ように前記職務命令の撤回を要求し続けた。

(3) 昭和三九年六月二三日の違反行為

(ア) 原告国光は、校舎玄関の昇降口に立つて、登校する組合員を礼法室に誘導し、職場会を開いた。そして、右職場会は勤務開始時刻を過ぎた後も続けられたため、職員朝礼の開始が定刻より五分遅れた。

(イ) 原告五十川を除く原告らは、右職員朝礼で、生徒の受験拒否を予期して、山本校長に対し、本件学力調査の内容の説明を求め、また、生徒が白紙答案を提出した場合でも教師に責任がない旨の確認書の作成を要求し続け、学力テスト第一時限の開始時刻が過ぎてもなお担当の教室におもむかなかつた。そのため、第一時限のテスト実施が約三〇分遅れた。

(ウ) 原告原田は、三年六組のテスト担当を命ぜられていたにもかかわらず、第一時限に無断で右職務を放棄して運動場に出た。

(エ) 原告多治比は、第一時限に担当の三年七組の教室におもむき、生徒の面前で職務命令書を読み上げ、さらに、その時すでに男子生徒約二〇名はテスト受験を拒否して運動場に出ていたのであるが、残留していた女生徒に対し、「男子はいないのか。女子はテストを受けるのか。先生は応援に行こうか。」などと発言した。

また、同時限に、原告原田は担当の三年六組の教室の黒板に、原告国光は担当の三年九組の教室の黒板に、それぞれ職務命令書を張り付けた。

このようにして、右原告らは、生徒に対し、本件学力調査拒否を煽動した。

(オ) 原告多治比および原告原田は、第二時限以降、受験を拒否して教室外に出た生徒を受験するように説得することの命令を山本校長から受けたにもかかわらず、積極的に当該生徒を説得しなかつた。かえつて、原告多治比は、当該生徒に向つて「自分の意思どおりやれ。」と言つた。しかも、原告多治比は、右生徒に対し、「帽子を深くかぶれ。胸の名礼を取れ。」などと言つたうえ、右生徒を体育館に誘導した後は、カメラを肩にかけて教室の廊下や校庭を歩きまわつていた。

(4) 昭和三九年六月二四日の違反行為

(ア) 原告国光は、前日同様、校舎玄関昇降口に立つて、登校する組合員を礼法室に誘導し、職場会を開いた。右職場会は勤務開始時刻を経過した後も続けられたため、職員朝礼の開始が定刻より五分遅れた。

(イ) 原告多治比は、右職員朝礼の席上、山本校長に対し、前夜宇部市教育委員会の三原主事らが受験拒否の主謀者とみられる生徒を訪問して正常に受験するように説得したことを執ように非難し、同主事をこの場に呼んで釈明させることを要求して譲らなかつた。そのため、第一時限の開始時刻を過ぎても学力テストを実施することができなかつた。

(ウ) 原告多治比は、第一時限に担当の三年七組の教室において、生徒に対して、「学力調査を受けるかどうかは生徒が自分で判断すべきことである。」と発言して受験拒否をそそのかした。

(三) 原告五十川を除く原告らの以上の違反行為が原因となつて、厚南中学校では、三年生の多数が白紙や無記名などの不正常答案を提出したほか、受験そのものを拒否して教室外に出たりした。その受験状況の詳細は別表第一記載のとおりである。ことに、原告多治比および原告原田の担任する各学級では本件学力調査の実施された両日とも正常に受験した生徒は皆無であり、原告国光の担任する学級でも正常受験者は極めて少なかつた。

4  原告五十川に対する処分事由

(一) 原告五十川は、本件学力調査に反対するため、その実施に先立ち、その担任する二年五組を中心に、二年各組の生徒に対し、授業時間中やいわゆる日記指導を通じて、「学力テストは違法である。同旨の裁判例もある。学力テストは人間に差別をつけるために行なわれるものである。○×式であるから学力の判定ができない。学力テストの結果は一生ついてまわる。」などの学力調査に対する反対意見を述べ、本件学力調査の受験を拒否するように教唆煽動した。

その結果、安下庄中学校では、三年生は全員本件学力調査を正常に受験したのに、二年生は、二四〇名中第一日目第一時限八六名(うち五組三三名)、第二時限七二名(うち五組二八名)、第三時限二九名(うち五組二二名)、第二日目第一時限二六名(うち五組二四名)、第二時限一七名(うち五組八名)の白紙解答者が出た。そのうえ、第一日目第一時限七名(うち五組四名)、第二時限一〇名(うち五組七名)、第三時限二六名(うち五組一六名)が受験そのものを拒否して教室外に出た。

(二) また、原告五十川は、川野校長から、昭和三九年七月二日、同年八月二七日その他機会あるごとに、本件学力調査の受験を拒否した生徒に対してその反省を指導すべき職務命令を受けたにもかかわらず、これを拒絶して右命令に従わなかつた。

5  原告久保に対するその他の処分事由

(一) 生徒指導要録は、生徒の学籍ならびに指導の過程および結果の要約を記録し、指導および外部に対する証明等のために役立たせるための重要な原簿であるが、原告久保は、山本校長から、昭和三八年度に担任した三年六組の生徒の指導要録を昭和三九年三月二六日までに提出するように職務命令を受けたにもかかわらず、右期日までにこれを提出しなかつた。そして、その後も再三提出の督促を受けたのに、これを放置し、昭和四〇年三月三日にいたつてようやく提出した。

しかも、右指導要録の記載内容には、同組の山口県立高等学校進学者一九名中一二名について、昭和三九年四月当該高校に送付した原告久保記入にかかる右指導要録抄本の記載内容との間に、別表第三記載のとおり重要な点で食い違いがあつて、生徒指導要録の作成態度も不真面目である。

(二) 無断欠勤

(1) 原告久保は、昭和三九年七月七日午後、校長代理である山本教頭に対し、沖繩解放国民大行進に参加するため同日午後年次有給休暇を申請したが、同教頭はこれを承認しなかつた。しかるに、原告久保は、右申請不承認を無視して同行進に参加し、職場を離脱した。

(2) また、原告久保は、昭和四〇年一月一三日、木脇校長に対し、同月一四日から同月一七日まで開催される日教組教育研究集会に出席するため、同月一四日および一六日について特別休暇の申請をした。同校長は、宇部市教育委員会の方針および校長会の申し合わせを説明して右申請を認めず、年次有給休暇であれば承認するとしてその手続をとるように求めた。しかるに、原告久保は、「あくまでも特別休暇で行く。後の交渉は組合にまかせる。」と言つて右集会に参加し、同校長の承認を受けないで右両日欠勤をした。

(3) さらに、原告久保は、昭和四〇年二月三日、休暇の承認を受けないで、佐世保市で行なわれた原子力潜水艦入港反対デモに参加した。

6  本件処分の決定にあたつて考慮した事情

(一) 原告らに共通する事情

(1) 教育効果の破壊

中学二、三年生は、素朴な正義感を有する反面、いまだ自分で正常な判断を行なうことができない段階にあるから、教師は、その教育にあたつては、生徒に規律を守り、真面目に勉学を行なうようにさせるため、細心の配慮が必要である。しかるに、原告らが本件学力調査反対のためにとつた前記の言動は、生徒に対し、規律遵守の精神を喪失させ、授業時間中教師に対してもその注意を聞き入れないで公然と反対行動をとらせるようにしてしまつたものであつて、著しく教育効果の破壊をもたらした。

(2) 本件学力調査の結果利用に対する阻害

本件学力調査の結果は、文部省によつて全国的視野から教育課程および学習指導要領などの教育内容の改善、教育予算の配分による教育施設の改善等の目的に利用されるものである。また、被告としても、山口県独自の立場において、県内の結果利用をはかる目的で、「全国中学校学力調査報告書」および「結果利用の手引き―学習指導の改善のために」を印刷し、市町村教育委員会を経由して各学校長に一部ずつ配付した。市町村教育委員会と校長は、これによつて、市町村内の各学校の平均的教育成果を知り、従前の教育の反省と将来の改善や人事異動、予算配付等の教育施策の基礎資料として利用することができた。しかるに、厚南中学校の三年生分については、本件学力調査受験拒否によつて調査の結果が得られなかつたため、宇部市教育委員会および厚南中学校では完全な姿における調査結果の利用を行なうことができなかつた。

安下庄中学校二年生分についても、程度の差こそあれ、同様に結果利用が阻害された。

(3) 世論の動向

中学生が学力調査を拒否して教室から逃げ出すことは、前例のない異常な出来ごとであつて、新聞、テレビ等により山口県下のみならず、全国的に報道された。およそ、教育は、次代国民の育成教化を目的とするもつとも公共性の強い行政であり、国民が教育職員に寄せる信頼と期待とは極めて強いものがある。したがつて、原告らの煽動等によつて惹起された生徒の本件学力調査拒否行動は、子弟の正常な教育を期待している国民に強い衝撃を与え、国民の教師に対する不信と反発をもたらした。

そして、宇部市議会では、昭和三九年九月二九日に「教育正常化に関する決議」が満場一致で可決され、また、山口県議会においても、同年一〇月三一日に「山口県教育の正常化に関する決議」が可決された。さらに、市民・町民の間に偏向教育の排除を求める声が非常に高まつた。

(二) 原告五十川を除く原告らの共通する事情

(1) 山本校長の自殺

厚南中学校長山本章一は、昭和三九年九月一七日朝、自宅で自殺した。その原因は、生徒に本件学力調査の受験拒否を煽動し、また、その拒否行動を意図して一連の服務上の義務違反行為をなしたことにより、生徒が本件学力調査の受験をその両日にわたつて拒否したことにあつたものであつて、原告五十川を除く原告らが同校長を自殺に追いやつたものである。

(2) また、同原告らは、一連の服務上の義務違反行為をなすにあたつて、常に主導的立場に立ち、他の組合員を指導した。

(3) さらに、同原告らは、本件学力調査第一日目終了後の午後三時三〇分ごろ、他の組合員らとともに市教委に押しかけ、教育長に対し、午後一一時三〇分ごろまで執ように本件学力調査の中止を要求し、拒否生徒の家庭訪問をして保護者に翌日の正常受験につき協力を求めるなど本来教育者としてとるべき措置を講じなかつた。

(三) 原告久保、原告国光および原告原田に共通する事情

原告久保、原告国光および原告原田は、宇部市立学校教職員服務規程第八条および上司の再三の注意を無視して、出勤簿に押印をしなかつた。

(四) 原告多治比および原告久保に共通する事情

原告多治比および原告久保は、昭和三九年五月六日、市教委から、同年二月二七日の定員闘争の統一行動に参加して無断で職場を離れたことを理由に訓告を受けた。

(五) 原告多治比および原告国光に共通する事情

原告多治比および原告国光は、昭和三六年度全国中学校学力調査のテスト担当の職務命令を拒否し、戒告処分を受けた。

(六) 原告多治比に関する事情

原告多治比は、

(1) 昭和三三年九月一五日および同年一〇月二八日の勤務評定反対闘争に参加して無断で職場を離れたことを理由に訓告を受けた。

(2) 昭和三六年一一月下旬の生徒朝会において、生徒に対し、京都市旭ケ丘中学校における学力調査拒否行動を賞賛した。

(3) 本件学力調査第二日目の職員朝礼における服務上の義務違反行為のため、職員朝礼が長びき、生徒が運動場に出るきつかけを与えた。

(4) 本件学力調査実施後、担任の三年七組の生徒に対し、他の中学校の生徒から送られてきた学力調査反対行動を賞賛する手紙を読んで聞かせた。

(七) 原告久保に関する事情

原告久保は、

(1) 昭和三八年度全国中学校学力調査において、担任であつた三年六組の生徒の答案に白紙が非常に多かつたのに、これに対して何ら適切な指導をしなかつた。

(2) 昭和三九年四月四日、市教委と県教組宇部支部との団体交渉にかなりの酒気を帯びて参加し、教育長らに対して非礼なことをどなりちらし、退場を命ぜられた。このことは、地元新聞に掲載報道された。

(3) 昭和三九年六月二〇日の職員朝礼において、山本校長が本件学力調査のテスト担当を命ずる職務命令書を各担当教師に配付したとき、自席から立ち上がつてこぶしを震わせ、同校長に対し、「校長は偽善者だ。職務命令書をぼくの責任で全部集めてたたき返してやる。」と叫んだ。

(八) 原告国光に関する事情

原告国光は、本件学力調査実施直後の昭和三九年六月二七日、県教組宇部支部代議員会において、厚南中学校における生徒の受験拒否を学力調査反対闘争の成果として報告した。

(九) 原告原田に関する事情

(1) 原告原田は、本件学力調査第一日目のテスト開始前の職場会において、「職務命令が出た以上はやらないわけにはいかないが、すれすれの線までがんばり、できるだけ開始の時間を延ばそう。」と提案し、出席者の賛成を得、この考えでその後の服務上の義務違反行為を敢行した。

(2) また、右職場会終了後の職員朝礼における前記服務上の義務違反行為のため、職員朝礼が長びき、生徒が運動場に出るきつかけを与えた。

(一〇) 原告五十川に関する事情

(1) 教案は、校長が各教師の教育の進度を把握し、学校の年間教育計画が予定どおり実施されているか否かを知るために必要不可欠のものであつて、山口県下すべての学校において教師全員が提出しているものであるが、原告五十川は、川野校長から教案提出命令を受けたにもかかわらず、これを拒否して提出しなかつた。

(2) 原告五十川は、集団主義教育という独自の教育方式を採用し、その一環として担任の二年五組の生徒に毎日日誌を提出させ、これに原告五十川が批評を書いて返す方法を採用していた。しかし、その目的を国語指導と称しているものの、実際は偏向した思想教育であつて、このまま放置すると生徒の将来に悪影響を及ぼすものである。

(3) 原告五十川は、日ごろ、上司や同僚に対して反抗的態度をとつたり、協調性を欠く言動が多かつた。

四  被告の主張に対する原告らの答弁および主張

1  被告の主張1の事実(本件学力調査の実態)は認める。

2  被告の主張2の事実(全国中学校学力調査に対する原告らの態度)も認める。

3  被告の主張3の事実(原告五十川を除く原告らに対する処分事由)について

(一) (一)の事実(本件学力調査受験拒否の教唆扇動)は否認する。日教組、県教組は、全国学力調査の実施された当初から学力調査反対闘争を展開してきたが、この闘争に生徒を巻き込まないことが方針として確認されていたのであつて、原告らには生徒に学力調査受験拒否を扇動する必要は全くなかつたし、実際にもしていない。また、たとえ教師が生徒の面前でその質問に答えて学力調査について批判的見解を述べたからといつて、それが組合側の主張の宣伝をしたものであればともかく、当該質問に教育者としての立場から誠実に答えるのが教師の職務である以上、これをもつて直ちに学力調査拒否の煽動に該当するものではない。

(二) 服務上の義務違反の主張について

(1) (1)の事実のうち、職員朝礼の席で山本校長が職務命令書を配付してしばらく後、原告久保が、学力調査の問題について組合員だけでもう一度考えてみるため職場会を聞くので、生徒に自習を命じて礼法室に集合してほしい旨の発言をし、二〇分ないし三〇分ぐらいの職場会が開かれたことは認める。しかし、原告久保の右発言は教師の大勢の意向を反映していたものであり、かつ、山本校長も右職場会の開催を黙認していたものであるから、何ら違法とされるいわれはない。

また、原告原田および原告久保が校長室で山本校長に右職務命令の撤回を要求したことは認めるが、職員会議の開催を強要したことは否認する。右職場会での討議の結果、山本校長に対し、職場命令をいつたん撤回したうえで学力調査問題の論議をするように要求することが申し合わされ、右申合せに従い、分会長の原告原田および分会代議員の原告久保ら分会代表四名が山本校長の承認のもとに右職務命令撤回要求交渉を行なつたものである。

なお、右職務命令が教育問題にかかわると同時に教員の勤務条件にも関係するものであるから、これについて、専門職能団体として校長と協議し、あるいは、教員労働組合として交渉事項となしうることは当然である。

(2) (2)の主張のうち、(ア)の事実は否認する。

(イ)の事実は、原告原田の声の大きさおよび振り返つた生徒の数の点を除き、これを認める。原告原田の声はそれほど大きなものではなく、三〇クラスの生徒が各クラス二列ずつ(一列二〇数名)に並んでその後方横四、五列分ぐらいの生徒に聞こえる程度であつた。原告原田がそのように発言をしたのは、山本校長がこれまで学校行事について必ず職員会議の結論を持つか、職員の事前の了解のもとに生徒に発表していたのに、当日はこれに反する措置に出たので、そのような異例なやり方に対し、思わず発した反射的発言であつた。

(ウ)の事実は認める。しかし、その職場会の開催については山本校長の承認があるだけでなく、その時間も約二〇分であつて、さほど長くもないし、右時間帯に担当授業と重なる教員はそれぞれ自習の手当てをしている。しかも、右職場会は、生徒朝会における山本校長の異例な発言に端を発して開かれたものであるうえ、学校における重大問題を論議するためのものであるから、特にこれを非難することはできない。

(エ)の事実のうち、被告主張の時間帯に職員会議が開催され、そこで分会長の原告原田が職務命令の撤回を求める発言をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。なお、右職務命令が重大な教育問題にかかわるものであるから、原告らが、職員会議の構成員としてその撤回要求の意見を述べたとしても、会議の規律を逸脱しない限り、そのこと自体を違法とされる理由はない。

(3) (3)の主張のうち、(ア)の事実は、原告国光が職場会を開催したとの点を除いて、認める。右職場会は、本件学力調査実施当日に臨むにあたつての組合員の意志統一をはかるため、その開催を分会執行部が決定したものであり、その決定に基づいて原告国光が組合員を誘導していたにすぎない。のみならず、その時間も勤務時間にわずか五分間食い込んだにすぎないのであるから、とりたてて問題とされるほどの事柄ではない。

(イ)の事実のうち、原告原田が白紙答案等に関する無答責確認を求めたことは認めるが、その余の事実は否認する。職員朝礼は定刻より約一〇分遅れて開催されたが、右確認書をめぐる論議は、山本校長もこれを承諾していたし午前九時には終つた。そして、原告多治比が調査開始時刻の到来したことを指摘したうえで職務命令の効力について山本校長に質問したところ、同校長は少しの時間のずれはあつてもよい旨述べて、引き続き学力調査実施後の授業実施等につき討議がなされ、同校長は九時二〇分学力調査開始の指示を出した。このような経過であつて、原告原田の無答責確認要求は、職務命令の範囲を明らかにし、不合理な処分を受けないための当然の要求であつて、違法でないことは明らかであるし、また、調査開始が遅れたことも、校長の主張する適法な会議があつたためであつて問題とされる理由はない。

(ウ)の主張は争う。原告原田は、学力テスト担当員として担任の教室におもむいたところ、四、五人の生徒がいなかつたので、残つている生徒に調査用紙を配付し、実施要領を説明した後、教室外に出た生徒をむかえに行き、折から拒否生徒の説得にあたつていた山本教頭と交替して説得にあたつたが、生徒が直ちに説得に応じなかつたので、校長室に引き返し、山本校長から、テスト担当の職務命令に替えて引き続き拒否生徒を説得すべき旨の命令を受けたものであつて、無断職務放棄ではない。

(エ)の事実は否認する。原告原田および原告国光は、本件学力調査実態上の時間割や注意事項を生徒に周知徹底させる目的で、職務命令書に添付して配付された実施説明書を黒板に掲示したにすぎない。

(オ)の事実のうち、原告多治比および原告原田が受験拒否生徒の説得命令を受けていたこと(ただし、第一時限の途中からである。)ならびに原告多治比が拒否生徒に対して「帽子を深くかぶれ。胸の名札を取れ。」などと言つたことは認めるが、その余の事実は否認する。原告多治比は、第一時限の終り(午前一〇時一〇分)ごろ、多数の報道陣が生徒の拒否行動の取材に来校したことに気付き、記者のセンセーシヨナルな扱いや挑発から重大な事態にいたる危険を感じ、生徒を報道陣から守るために、生徒に対して前記のような指示をしたものである。

(4) (4)の主張のうち、(ア)の事実については、前項の(ア)の事実に対する答弁と同様である。

(イ)の主張は争う。原告多治比が三原主事の家庭訪問について釈明を求める発言はしたが、同主事を職員朝礼の席に呼ぶことを執ように求めて譲らなかつたということはない。また、学力調査の開始が遅れたことについては、校長の主宰する職員朝礼が会議の途中打切り宣言もなく進行したためであつて、原告多治比がその責任を追及される根拠はない。

(ウ)の事実は否認する。

(三) (三)の主張は争う。厚南中学校において、三年生の多数が白紙や無記名などの答案を提出し、また、受験そのものを拒否して教室外に出たこと、原告多治比および原告原田の学級に拒否者が特に多かつたことは認める。しかし、厚南中学校においてこのような事件が発生したのは、原告五十川を除く原告らにその原因があるのではなく、他の種々の要因が重なつたものとみるべきである。すなわち、全国学力調査に対しては、その実施当初の昭和三六年以来、白紙などのいわゆる不正常答案はいうまでもなく、教室外へ出ての拒否も全国各地に見られ、本件学力調査についても、山口県下では厚南中学校以外に桃山中学校などいくつかの学校で不正常答案が相当数にわたつて出ているのであつて、厚南中学校にのみ特有のものではなく、学力調査のもつ非教育性(政策テスト等)やその弊害を学力調査を受ける子ども自身がマスコミなどによつて自覚し、これに抵抗を示したものにほかならない。さらに、厚南中学校では、学区に中小炭鉱労働者が多く、従来から県教組との交流が比較的多いなどの地域的特殊性に加えて、生徒の疑問や問題提起に対して教育的に必ずしも正しく対処していなかつたことや優秀な生徒を中心とする学力調査の組織的動きがあつたことなどが、生徒の拒否行動の大きな原因になつたものというべきである。

4  被告の主張4の事実(原告五十川に対する処分事由)について

(一) (一)の主張は争う。原告五十川は、クラスの生徒を数班分けて班目標を設定し、その目標達成のために生徒が班内でたすけ合い、相互に批判し合つて高めあわせるという方法で生徒の自主性を引き出し、各自の個性を発揮伸長することを教育方針として教職に携わつてきた。ところで、昭和三六年以来毎年繰り返されてきた全国学力調査についての賛否両論の見解がマスコミを通じて広く社会に浸透してきており、ことに本件学力調査実施前は、学力調査の適否に関する裁判例や宗像誠也東大教授を団長とする香川愛媛文部省学力調査問題学術調査団の現地調査結果の発表などが報道され、学力調査問題が世論を沸き立たせていた。このような社会情勢の中で、学力調査を受ける生徒がこれに無関心でいられるはずもなく、種々の疑問を抱いてそれぞれ友人間で論議し、自分達でその資料を集め、先輩の話を聞くなどするとともに、原告五十川ら教師達にも真剣に質問を投げかけていつた。原告五十川は、本件学力調査を間近に控えて担当する生徒達からこれに関する質問を受けたとき、文部省の見解を押し付けるのでなく、組合の見解を宣伝するのでもなく、教育的観点から、生徒達に自らの判断ができるようにその素材を与えるため、文部省が発表している学力調査の意義と目的およびこれに対する批判的見解をそれぞれ客観的に説明した。この説明をもつて学力調査拒否の煽動と解しえないことはいうまでもない。生徒達は、学力調査実施についての十分に納得のいく説明もなく、受験すべきかどうかという各自の態度について真剣に悩み、考えぬいた上で、ある者は受験し、ある者は白紙で出すなどの行動を各自で選択したのが本件の発端である。教室に入らないで受験を拒否した生徒については、休憩時間に水飲み場に集つた生徒が受験状況について話し合つている中で、白紙・無記名の生徒に対する監督の教師や校長らの高圧的態度が話され、ある生徒が監督の教師から殴られた事実が出されるに及んで、生徒の純粋な気持に一層拍車をかけ、そのまま教室に入らないで受験を拒否するにいたつたものであつて、生徒の拒否行動の原因は、生徒の心情を汲みとることなく、生徒を単なる被験者としてのみ扱つて学力調査を強行してきた文部省とこれを受けて学力調査を実施した教育委員会、校長、一部教師にあるものというべきである。

(二) (二)の事実は否認する。川野校長から事後指導について話があつたが、職務命令として発せられたものと見ることはできない。仮に職務命令があつたとしても、生徒指導は、高度に教育専門的内容を有する問題として教員の権限と責任に委ねられており、校長は先輩教育者としての指導助言をなしうるだけで行政的指揮命令はなしえないから、違法な職務命令であつて拘束力を有しない。

5  被告の主張5の事実(原告久保に対するその他の処分事由)について

(一) (一)の事実のうち、原告久保が昭和三八年度において学級担任をした三年六組の生徒の指導要録について、建前としては昭和三九年三月二六日その作成提出を義務付けられながら、実際には昭和四〇年三月三日これを提出したことおよび原告久保作成の指導要録抄本について原本との間に被告主張のような記載上の食い違いのあることは認める。しかしながら、原告久保は、右学級担任が教諭になつて初めての三年生の学級担任であり、卒業期前後の事務処理に追われ、かつ、厚南中学校の場合、指導要録提出期限を遅れて提出する例もあつたので、それほど急ぐことはないといつた安易な気持で、指導要録を作成提出しないまま昭和三九年度一学期を経過してしまつた。そして、黒瀬教務主任からいく度が督促を受けたので、同年度二学期からその作成にとりかかり、同学期中にほぼ完了したが、なお念のため点検する必要もあり、また、その後提出の督促もなかつたので、自ら保管していたところ、昭和四〇年三月二日、木脇校長から初めて提出の催促を受け、翌三日、最終点検をする余裕もないまま指導要録を提出した。

以上のような経緯があるうえ、法律上の作成義務者たる校長が事前に何らの指導も加えず、しかも、この問題がもつぱら原告久保の免職を企画する不純な動機に基づいて問題化されるにいたつた事情を合せ考えると、右指導要録提出の遅延等が免職に値する事由とはとうてい考えられない。

(二) 無断欠勤の主張について

(1) (1)の事実は認める。ただし、年次有給休暇の申請ではなく、外出の届である。原告久保は、県教組も主催者として関与する沖繩解放国民大行進に参加する同宇部支部所属組合員の世話役を担当するため、当日午前中、山本教頭に対し、その旨申し出て外出の届をしたところ、同教頭は、一たんはこれを承認しながら、外出時近くになつて、行進が校区を通るからと称し、休暇届の提出を要求した。しかし、原告久保は、当時、同支部執行委員の地位にあり、従来執行委員が執行業務のため午後から学校を離れる場合には単なる外出届で処理される慣行であつたので、同教頭の要求を拒否し、あくまでも外出届の受理を求めて外出したものである。しかも、山本教頭の真意は、原告久保が勤務を離れること自体を拒否するものではなかつたから、この問題を一概に規律違反と評価することはできない。

(2) (2)の事実は認める。しかし、教育研究は教職員の職務の重要な一環をなすものであり、教育公務員特例法も教員の研修に対し特別の便宜を保障しているところ、従来、教育研究集会の参加については研修出張ないし特別休暇の扱いが慣行となつていたのであり、教職員の側からいえば、勤務条件の一つをなしていたものである。したがつて、木脇校長が右慣行を無視して年次有給休暇の手続を要求することは、勤務条件の一方的変更であつて、前記法律の特別の保障を奪う違法な措置であるから、右要求に従わないからといつて、無断欠勤にはならない。のみならず、原告久保としては、右要求について、これを自分だけの問題ではなく、組合全体の利害にかかわるものと考え、その処理を組合に一任したものであり、かつ、木脇校長の真意も右集会への参加拒否にあるわけではないから、本件を無断欠勤と評価することはできない。

(3) (3)の主張は争う。原告久保は、原子力潜水艦入港反対デモの参加要請を午後五時過ぎに受けて校長、教頭に届け出ることができなかつたので、たまたま一緒に仕事をしていた村井講師に自習用数学問題のプリントを手渡したうえ、補教の手当とデモ参加の届出を依頼した。もつとも、右村井が原告久保の依頼どおり校長などに伝えていなかつたので、連絡上の行き違いが生じた。しかし、厚南中学校では、年次有給休暇の事後承認例はよくあることであり、原告久保も本件について事後に届出を行ない、承認されている。したがつて、被告の無断欠勤の主張は当らない。

6  被告の主張6の事実(本件処分の決定にあたつて考慮した事情)について

(一) (一)の(1)から(3)までの各事情は争う。教育に対して不当な介入を強行してきた文部省、被告側に本件発生の責任があることは前記のとおりである。本件処分は、被告が世論と強調する一部の外部勢力の動きに便乗して学力調査反対運動をはじめ組合運動そのものへの打撃を意図し、教育の論理を無視して行つた政治処分である。

(二) (二)の(1)から(3)までの各事情は争う。

山本校長を自殺に追いやつたのは、原告らではなく、宇部市教育委員会およびその背後で指導した被告である。すなわち、本件拒否事件を重要な教訓と示唆に富む教育事象としてとらえ、外部の非教育的介入を排しながら教育的に処理しようとした山本校長に対し、学力調査の実施を自己目的化し、生徒の受験拒否をゆゆしき不詳事件と見る被告および宇部市教育委員会は、その責任追及のため、川本校長に対し、生徒の拒否行動が教師の煽動によるものとの予断に立つてその裏付資料の報告を執ように要求し、その意に添わない同校長を暗に非難するなどして、強い圧力を加え、教育者としての良心を貫こうとする同校長を自殺に追いやつたものと見るべきである。

(三) (三)の事実のうち、原告久保らが出勤簿に毎日押印をしていなかつたことは認めるが、その余は否認する。出勤簿の押印は、法的根拠があるわけではなく、職員の動静確認の一方法としてその協力のもとに慣例的に行なわれているにすぎない。厚南中学校の場合、他の方法によつて全職員の動静が把握できる状況にあつたし、現実にも出勤簿に毎日押印する者はほとんどなく、これについて校長や教頭が注意指導をすることもなかつた。

(四) (四)の事実は認める。しかし、その訓告は、年次有給休暇申請について校長の承認があつたにもかかわらずなされたものであつて、無効の措置であるだけでなく、本件学力調査後宇部市教育委員会と県教組宇部支部間の交渉の中で、事実上訓告がなかつたことにする旨の確認がなされた。

(五) (五)の事実は認める。しかし、学力調査そのものが違法であり、仮にそうでないとしても、学力調査が教育現場にもたらしてきた弊害および混乱の実態や昭和三七年度以降は職務命令に従つて学力調査の業務に従事してきたことを合せ考えれば、その戒告処分の裁量要素としてとり上げるのは失当である。

(六) (六)の事情について

(1) (1)の事実は認める。しかし、その訓告の日から本件処分まで六年余りも経過しているし、訓告自体は懲戒処分ではないから、これを裁量要素に加えるのは失当である。

(2) (2)の事実は否認する。原告多治比は、前記のとおり昭和三六年度学力調査の職務命令違反を理由に戒告処分を受けたが、その事実が新聞に報道されたため、これを知つた生徒の複雑な感情を考慮して処分のいきさつを話したにすぎない。

(3) (3)および(4)の各事情は否認する。

(七) (七)の事情について

(1) (1)の事実のうち、白紙答案が相当数あつたことは認める。しかし、他のクラスにも白紙、無記名がかなり出ているし、採点業務に関与していないのであるから、自分のクラスの答案状況を正確に把握できる立場になかつた。しかも、校長や教頭から当該生徒を指導すべき旨の指示も受けていないのであつて、原告久保の場合のみをとり上げ、適切な指導をとらなかつたとするのは失当である。

(2) (2)の事実は争う。

(3) (3)の事実も争う。原告久保の措辞に穏当を欠く点があつたとしても、これまで職員の納得のもとに学校運営を進めてきた山本校長が突発的に職務命令書を配付した異例な態度に対する怒りと失望の表現にほかならないものであつて、とりたてて問題視するのは当らない。

(八) (八)の事実は否認する。

(九) (九)の(1)(2)の各事情は争う。

(一〇) (一〇)の事情について

(1) (1)の事実のうち、原告五十川が教案を提出していないことは認めるが、その余の事実は否認する。教案は、本来、教員の参考計画案として各自が任意に作成するものであつて、作成を義務付けられているものではない。だからこそ、従前には原告五十川が校長や教頭からその提出を求められたり、不提出を注意されたこともないのである。

(2) (2)の主張は争う。このような主張をすること自体、本件処分が政治的処分であることを裏付けるものといわなければならない。

(3) (3)の事実は否認する。

7  学力調査と生徒の受験義務

(一) 全国中学校学力調査は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下、地教行法という。)第五四条第二項を根拠として実施されたが、結局において、五教科について中学校二、三年の生徒全員にテストを行い、個々の生徒の学力を評価し、かつ、その換算点を生徒の指導要録の標準検査欄に記入するもので、教育活動の一環として教師が行なう各教科のテストおよびそれに基づく成績評価と異なるものではなかつた。この点で、学力調査は、右条項の予定する行政「調査」の範囲を超え、教育活動の実質を持つていたものといわざるをえない。したがつて、右のような学力調査を行なうには、右法条以外に、教師の教育活動に直接関与しうるための教育内容行政上の権限を文部大臣が有するのでなければならないところ、このような面で文部大臣に付与されている権限として考えられるのは、学校教育法第三八条、第一〇六条に規定の「教科に関する事項」を定める権限が存するだけである。

他方、教育基本法第一〇条は、戦前において、教育の内容・方法が中央集権的教育行政機構の監督のもとに定められていたため、教育本来の姿が大きくゆがめられていたことを反省し、教育をこのような行政支配から解放してその自律性(教師の教育の自由)を保障することを趣旨とした規定である。したがつて、教育行政機関といえども、教育の内容・方法について無制約に介入し、あるいは、これを規制しうるものではなく、教育の自律性を害することのない必要最少限度の大綱的基準を設定するほかは、非権力的、非拘束的な指導助言の方法によることとされているものというべきである。特に文部大臣の権限は、現行教育法制が教育の地方自治を建前としていることからしても、限界づけられているものといわなければならない。教育の自律性の保障は、教育が子どもの発達を促す営みとして固有の内在的法則を有するものである以上、教育の本質から導かれる当然の論理的帰結である。そうすると、前記学校教育法第三八条は、文部大臣に対し教育課程に関し全国的見地から必要最少限度の大綱的基準を設定する権限を定めたものと解するほかないから、本件学力調査のごとく、教育活動の実質を持つ各教科のテストにつき、文部大臣が対象教科、実施日時、時間割を定め、かつ、その問題を作成してその実施を全国の中学校に義務付けることは、文部大臣の教育内容行政権の範囲を大きく逸脱し、教育基本法第一〇条第一項の禁ずる「不当な支配」に該当するものとして、重大な違法性を帯びるものといわなければならない。

したがつて、生徒には、違法な学力調査を受験すべき義務のないことは当然であり、本件処分のうち生徒の学力調査受験拒否を理由とするものについてはその基礎を失うことにならざるをえない。

(二) 仮に全国中学校学力調査が適法であるとしても、在学関係上通常予測される範囲を超える行事で、生徒に相当の精神的肉体的負担を伴うものについては、生徒に不参加の自由が保障されるべきものと解されるところ、学校教育活動に対して外在的な学力調査はまさに右の場合に該当するものである。したがつて、本件処分のうち生徒の学力調査受験拒否を理由とするものについては、やはりその前提を欠くものといわざるをえない。

五  原告の主張に対する被告の反論

1  全国中学校学力調査の適法性

全国中学校学力調査は、地教行法第五四条第二項を根拠として実施されたものである。教育は行政権に属する作用であり、現行法体系のもとにおける教育に関する行政機関の権限の配分については、文部省が学校教育の基準を設定するものとされ(文部省設置法第八条)、その基準の具体的内容は、文部省が「教育課程、編制その他教育に関する基準を設定し、及びこれらの実施に関し指導と助言を与えること」および「学習指導要領の編修及び改訂に関すること」である(文部省組織令第八条および第九条)。これと相呼応して、学校教育法は、小学校、中学校および高等学校の教科に関する事項を定める権限を文部大臣に付与している(同法第二〇条、第三八条、第四三条、第一〇六条)。そして、文部大臣をして右の各担当事務の完全な実施を行なわせる手段として、地方公共団体の教育委員会に対する必要な調査報告等の提出を求める権限を付与しているのである(地教行法第五四条第二項)。右のような実定法の体系を基盤として考えるならば、文部大臣が学校の教科に関する事項を定め、学習指導要領を作成、改訂するためには、学習指導要領の基準に照らして児童、生徒の学力の水準がいかなる状態にあるかを的確に把握することは必要不可欠のことである。そして、このような目的で全国一せいに同一問題で生徒の学力を調べることは、地教行法第五四条第二項の「調査」に含まれるものである。

また、出題される問題は、学力水準測定の目的のために学習指導要領の基準にのつとつて作成されるものであるから、この問題をもつて行なわれるテスト自体の性質は、生徒の訓育の面から見るならば、学校において日常施行されるテストと全く同じ性質のものであつて、生徒に悪影響を与えることはないし、しかも、実施は一年のうちわずか二日で五時限であり、年度当初から各学校に示達され、学校行事等として予定に組み込まれるのであるから、学校の正常な活動を阻害することもない。したがつて、全国中学校学力調査は適法であるといわなければならない。

2  職務命令撤回要求の違法性

地方公務員の結成する職員団何(組合)は、勤務条件に関し当該地方公共団体の当局と交渉することを目的として認められるものであるから、組合員の勤務条件とは何らの関係も有しない行政上の施策である本件学力調査の実施については、これを地方公共団体当局との交渉事項にすることは許されない。したがつて、職員が勤務時間中に校長に対して本件学力調査の中止やその職務命令の撤回を要求することは、いかなる点からみても正当な組合活動たりえないものであり、交渉に名をかりた服務上の義務違反行為そのものである。

3  職務専念義務の免除に関する慣行について

(一) 組合活動のうち、地方公共団体当局に対するものは前記のとおり勤務条件に関する交渉に限られており、そのためには届出をすれば職務を離れることが認められていた。しかしながら、沖繩解放国民大行進は、国民の政治的活動であるから、これに参加することは、国民としてもしくは組合員個人としては自由であるが、そのために職務専念義務が届出だけで当然に免除されることはありえない。

(二) 特別休暇は、「一般職に属する学校職員の給与に関する条例」(昭和二七年山口県条例第六号)第一九条第二項に基づいて制定された「職員の給与の減額についての基準に関する規則」(昭和二七年山口県人事委員会規則第七号)第三条に規定されており、研修のための特別休暇については同条第一四号に定められているが、右条項の趣旨は、任命権者もしくは管理者が認める研修に参加する場合にこれに必要な期間特別休暇を与えるというものである。そして、宇部市教育委員会は、従前から、日教組主催の教育研究集会には、有給休暇をとつて参加することは認めるが、特別休暇は与えない方針をとつていた。

仮に、原告久保主張のように、従前、右集会参加のため特別休暇の認められたものがあつたとしても、その一事によつて慣行が成立していたことにはならないといわなければならない。もともと、公務員の勤務時間は、給与と対価関係に立つものであつて、条例によつて規定され、かつ、その運用は直ちに国民生活に直接的な関係を有するものであるから、公務員の服務関係については労使慣行の認められる余地はほとんど考えられない。

第三証拠関係<省略>

理由

第一請求原因事実については、当事者間に争いがない。

第二本件処分事由の存否について

一  被告の主張1・2の事実については、当事者間に争いがない。

二  原告五十川を除く原告らに対する処分事由の存否について

1  生徒に対する本件学力調査受験拒否の扇動について

(一) 証人山本一男(第一回)の証言(ただし、後記採用しない部分を除く。)およびこれによつて真正に成立したものと認められる乙第六号証の二および同第一八号証、原告多治比(第一・二回)、原告国光(第一回)および原告原田各本人尋問の各結果(ただし、後記採用しない部分を除く。)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 本件学力調査の実施された昭和三九年六月二三・二四日の両日、宇部市立厚南中学校において、三年生の多数が、教室外に出て本件学力調査の受験を拒否したり、白紙や無記名答案を提出するなどの行動をとつたが、その各学級における受験状況の概要は別表第一記載のとおりである。

(2) 原告多治比、原告国光および原告原田は、前記争いのない事実のとおり、全国学力調査が初めて実施された昭和三六年以来、毎年、その実施に強く反対してきた。

(3) 昭和三九年四月から、原告多治比は三年七組の、原告国光は三年九組の、原告原田は三年六組の各学級担任であり、かつ、原告多治比は三年生の英語と社会科、原告国光は三年生の音楽、原告原田は三年生の社会の授業をそれぞれ担当していた。

(4) 原告多治比は、昭和三九年四月末ごろの生徒の家庭訪問の際、案内をしてくれた生徒から、学力調査に対する見解について質問を受け、それには反対である旨答えた。また、同年六月ごろ、校内運動場の鉄棒付近で遊んでいた数人の生徒の一人から、学力調査についての意見を聞かれ、ごく短時間であつたが、結論的には組合員であるから反対である旨断片的な説明を加えて述べた。

(5) 原告国光は、朝日新聞が学力調査をテーマとした時事特集を連載したころ、担任のホームルームの時間において、生徒に対し、その記事を読んでみるように勧めた。

(6) 原告原田は、昭和三八年一〇月ごろから本件学力調査実施までの間、クラブ活動や生徒と下校した時などに二・三回、生徒から学力調査の問題について質問を受け、文部省の言い分や日教組の見解を系統的ではなかつたが説明した。また、その際、県教組宇部支部と地域住民との懇談会において組合員の立場で学力調査に反対であると発言したことも、その旨の質問に答えて話した。

(7) また、本件学力調査実施前の六月二二日の昼休み時間中、山本校長が校長室で山本教頭と本件学力調査の実施対策を協議していたとき、「多治比ガンバレ」と記載されたビラがけり込まれ、校長室付近の廊下にも「学テ反対」と書かれたビラが落ちていた。

(8) 本件学力調査の受験を拒否した生徒の中には、その説得にあたつた校長、教頭その他の教師に対し、強制テストはいやであるとか、学力テストを違法とする裁判があるなどの理由を主張してその説得に応じない者があつた。

以上の事実が認められる。そして、右認定事実を総合すると、原告多治比、原告国光および原告原田は、本件学力調査実施前の授業時間中もしくは時間外において、生徒に対し、本件学力調査は違法であり、同旨の裁判例があるのにその実施を強制する旨強調し、暗に本件学力調査をボイコツトするように働きかけたものとの疑問も考えられないではない。

(二) しかし、成立について争いのない甲第六・七号証、同第一一号証、同第二六号証、同第二七号証の一から一〇まで、同第三二号証の一から四五まで、同第三四号証の一・二、同第三五号証、乙第五号証の六・七および同第一七号証、証人森脇の証言によつて真正に成立したものと認められる甲第一四号証の一から三まで、証人恵羅大典の証言(第一回)によつて真正に成立したものと認められる乙第五号証の一から三までおよび同第六号証の一、証人山本一男の証言(第一回)によつて真正に成立したものと認められる乙第七号証の二(ただし、そのうちAの四の成立については、当事者間に争いがない。)および同第五八号証、証人三原孝史の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第一二号証、証人森本浩の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第一三号証、証人河口徳明の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第一四号証、証人柳三郎の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第一五号証、証人山本一男(第一・二回)、同恵羅大典(第一回)、同森本浩、同河口徳明、同三原孝史、同柳三郎、同森脇保、同山村信男、同金光弘成、同丸田徹矢、同藤井妙子、同荒巻律子および同竹田豊の各証言、原告多治比(第一・二回)、原告国光(第一回)および原告原田各本人尋問の各結果(ただし、いずれも後記採用しない部分を除く。)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 昭和三六年の全国学力調査実施以来本件学力調査実施までの間、毎年その実施時期の前後に、学力調査の目的、法律上および教育上の問題点、受験拒否や白紙・無記名答案の提出があつたことなどの受験状況等がいわゆる全国紙や防長新聞などに社説、論説、記事として掲載報道されていたし、学力調査を受験するかどうかは生徒自身が決めるべき事柄である旨の意見や学力調査のもたらす弊害、生徒に与える不安等の問題指摘を記述した「学力テスト答案は白紙だつた」、「現代つ子飼育法」などの書籍も刊行されていた。

また、学力調査の実力阻止を図つた者に対する刑事事件に関し、昭和三九年三月一六日福岡地方裁判所小倉支部において学力調査を違法とする判決が、反対に、同年五月一三日福岡高等裁判所においてこれを適法とする判決がそれぞれなされ、これがいずれもそのころの全国紙上に掲載されたり、テレビなどでも報道された。さらに、同年六月九日には、宗像誠也東大教授を団長とする日教組・国民教育研究所の香川・愛媛両県の文部省学力テスト問題学術調査団が、右両県で現地調査をした結果、学力調査のために公然と準備教育がなされたり、不正が行なわれたなどの学力調査の実施に伴う弊害があつた旨発表したことが全国紙上に掲載報道された。

(2) 厚南中学校では、昭和三八年度全国学力調査実施前に、生徒会役員を含めた三年生有志が学力調査について真剣に考えようという趣旨のビラを生徒に配布したことがあり、本件学力調査の受験を拒否した生徒らはその当時二年生であつたが、その中には、右ビラをもとにしてクラスの生徒と話し合つたり、クラブ活動や登下校の際当該ビラを配布した三年生とも学力調査のことについて話しを交わし、その三年生が学力調査に対して反対行動をとるかどうか悩んでいることを知るなどして、そのころから学力調査について関心を抱いていた。そして、本件学力調査と全校壁新聞コンクールの各実施時期が重なつたこともあつて、本件学力調査実施の一週間前ごろから、生徒会役員や学級委員などの一部の成績優秀な生徒が中心となつて、学力調査の問題を友人同士で論議するようになり、ことに、実施直前の六月二〇日には組合員の教師が学力調査担当の職務命令の撤回を求めて山本校長と交渉を持つたりしたため、自習となつたクラスがあり、六月二二日には午前中から職員会議が開かれたため、生徒は一日中自習をすることになつたが、その自習時間中全員で学力調査の問題を討議し、目的不明の学力調査の受験を一応拒否してその時間中は自習することを決めたクラスもあつた。

さらに、六月二二日の昼休み時間には、疑問のあるまま学力調査を受験させられることに不満を抱く生徒の有志が学力調査問題の討議のため生徒会の開催を申し入れることを話し合い、生徒会顧問を通じて学校側にその旨申し入れ、もし生徒会の開催が認められない場合には、代表の教師が学力調査に対する賛成と反対の立場をそれぞれ放送で説明するように要求した。しかし、右申入れは職員会議ですべて認められなかつたので、生徒らはこれに反発し、生徒会事務室で学力調査反対のビラを作成してこれを各教室や廊下、階段などに張つたり、他の生徒に配布したりした。

また、全校壁新聞コンクールのため六月二一日に各学級の壁新聞が廊下の所定の位置に掲示され、翌二二日から全校生徒の閲覧に供されたが、その中には、学力調査に疑問を提起し、これについて考えようと生徒に訴える記事が、三年生のクラスのみならず、二年生のクラスの壁新聞にも見受けられた。

(3) 本件学力調査第一日目が生徒の受験拒否などで混乱したので、その終了後、第二日目の対策を協議するため、職員会議が開かれ、その会議において、一応市教委に第二日目の学力調査中止を要請してみて、中止が認められなければ、校長がテスト実施前に放送を通じて生徒に正常受験を説得することなどが了解されたのであるが、山本校長は、右了解に基づいて六月二四日午前九時四〇分ごろ、放送で、学力調査の目的とその弊害など生徒の抱く疑問点に触れながら、生徒に当日の学力調査の正常受験を呼びかけ、その最後に、「それでもなお納得のゆきかねる者があつたら、やむをえない。体育館に集るがよい。私からさらに説明を加えよう。だが、今日はそのような者が一人もいないことを強く望んでやまない。」と結んだ。

(4) 生徒が教室外に出て学力調査の受験を拒否したのは、山口県では厚南中学校と安下庄中学校だけであるが、ボイコツトにいたらないまでも、生徒が白紙・無記名答案を提出して学力調査に対する拒否反応を示した中学校はかなりあつた。しかも、厚南中学校では、二年生の答案にもかなりの白紙・無記名が見受けられ、本件学力調査第二日目ではあるが、四、五名の二年生が三年生の学力調査受験拒否行動に参加しようとし、三年生の説得で結局参加を断念して教室に戻つたこともあつた。

また、本件学力調査第一日目において、受験拒否行動に出た生徒は、第一時限は二〇数名であつたが、第二時限開始までの休み時間に増加して約九〇名前後となり、最終的には一四〇名ぐらいに達した。

(5) 日教組および県教組は、全国学力調査の初めて実施された昭和三六年には、当該学力調査に反対して、テスト担当を命ぜられた各組合員が当該職務命令に従わないで平常授業を行ない、そのために当該組合員が処分されたので、昭和三七年以降は、職務命令が出されれば最終的にはそれに従うこととする反面、国民に対して積極的に学力調査の問題点を訴え、学力調査反対の世論形成に努力するとともに、教育委員会や校長に対して学力調査の中止や職務命令の撤回を強く求める方針に転換した。そして、県教組宇部支部厚南中学校分会では、同中学校の生徒の中に比較的多数中小炭鉱労働者の子どもがいたこともあつて、その労働組合との連絡を保つ一方、母親との懇談会などを開いて地域住民との接触をはかり、それらの機会に学力調査の問題点にも触れ、その実施に反対である旨の意見を表明してきた。

ところで、本件学力調査の実施にあたり、県教組は、定期大会の決定に基づき、六月一五日付指示第一号をもつて、各支部長、分会長あてに、学力調査中止要求を基本として地教委および校長との交渉を進め、その実施が強行される場合にも、職務命令を出さないこと、生徒の氏名・番号の記入をやめることなどの確約をとることなどを指示した。さらに、六月二一日付指令第一号をもつて、本件学力調査に反対するため右指示第一号に基づく諸行動を確実に実施すること、強行実施の限界時点まで地教委および校長との交渉を行なうこと、その交渉は、学務提供拒否体勢を背景として本件学力調査の中止を要求するとともに、生徒に氏名・番号を記入させないことや生徒の面前で学力調査に対する教師の意見陳述を認めることなどの確約をとりつけること、テスト担当の職務命令が出された場合には、その撤回交渉を粘り強く行ない、校長がその交渉を拒否しあるいは交渉を打ち切つて命令を強行する場合は職務命令の返上・労務提供拒否は行なわないこと、学力調査についての生徒の質問に対しては教師の意見を率直に述べるが、実施当日の生徒の直接的行動に対する具体的指示は行なわないことなどの指令をした。また、右指令に基づいて六月二二日に県教組宇部支部大会が開催され、そこで、最後まで本件学力調査に反対はするが、最終的には職務命令に従つて本件学力調査を実施することや組合の学力調査反対闘争に生徒を巻き込まないことなどが確認された。

(6) 原告国光は、昭和三四年教師になつて以来、生徒の社会的知識を豊富にするため、適当な事例があるつどホームルームの時間に時事解説を行なつており、生徒には日ごろから新聞などをよく読むように指導していたのであつて、たまたま朝日新聞が学力調査をテーマにした記事を掲載していたので、生徒にそれを読むように勧めた。

以上のとおり認められる。そして、中学二・三年生にもなると、一般的には、社会事象に関心を示し、権威などに対して反抗心を強める反面、友人からの影響を受けやすく、また、テストそのものを嫌う傾向にあるものといえるから、これらのことと右認定事実を合せ考えると、次のようにいうことができる。すなわち、学力調査の問題点や功罪・受験状況などについては、昭和三六年以来マスコミでとり上げられており、ことに、本件学力調査実施のころには、学力調査違法・合法の各判決やその弊害を指摘する調査報告などが報道され、また、日教組の学力調査反対の活動も行なわれていたのであつて、このような社会状況の中で、学力調査の対象となる生徒自身が中学二・三年生にもなれば、これに関心を抱く者が出ることも否定できない。そして、厚南中学校では、右のような生徒の中でも学力調査について真剣に考えた一部生徒が、本件学力調査の実施時期が迫つてこれにどのように対処すべきか悩んでいるのに学校側ではその悩みを理解してくれないものと考えて反発し、最初の受験拒否行動に出たところ、他の生徒もこれに付和雷同し、さらに、第二日目には、正常受験を説得した校長放送の最後の言葉がかえつて生徒に受験しないでもかまわないという安易感を抱かせるにいたり、大規模な生徒の学力調査受験拒否に発展したものと見られる。しかも、原告多治比ら県教組組合員としては、組合の方針が昭和三七年以来処分を受けないために最終的には職務命令に従うことになつたし、本件学力調査についても生徒を組合の反対闘争に巻き込まない方針であつたのであるから、生徒を利用してまでことさらその実施を阻止しようとする意図はなかつたものといえる。

(三) したがつて、以上の事情に照らすと、前記(一)の事実から、原告多治比、原告国光および原告原田の言動が結果として生徒の本件学力調査受験拒否行動に何らかの影響を及ぼしたであろうことは否めないとしても、それ以上に、同原告らがそのような結果の招来を意図していたとは認められないし、本件学力調査の実施前の授業時間中に生徒に対して本件学力調査が違法である旨などを強調し、もしくはその他の方法で本件学力調査の受験拒否を教唆扇動したものと推認することはとうていできないものといわなければならない。前掲乙第一二号証、同第一七号証、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる乙第四八・四九号証、証人山本一男(第一・二回)、同恵羅大典(第一・二回)、同森本浩、同柳三郎および同三原孝史の各証言中、原告多治比らが生徒に本件学力調査の受験拒否を教唆扇動したものとする趣旨の部分は、にわかに採用することができないし、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

2  服務上の義務違反について

(一) 前掲甲第一四号証の一から三まで、同第二六号証、乙第五号証の一から三までおよび同号証の六・七、同第六号証の一・二、同第七号証の二、同第一二から第一五号証まで、同第一七・一八号証、同第五八号証、成立について争いのない甲第一六号証の一・二、同第三二号証の四八から五〇まで、乙第五号証の五、原告多治比が各新聞の切り抜きを撮影した写真であることについて争いのない甲第一八号証の二から一〇まで、原告国光本人尋問(第二回)の結果によつて真正に成立したものと認められる甲第一五号証、証人恵羅大典の証言(第一回)および弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる乙第五号証の四および同第七号証の四・五、証人山本一男(第一・二回)、同恵羅大典(第一・二回)、同森本浩、同河口徳明、同柳三郎、同三原孝史、同山村信男、同金光弘成、同丸田徹矢、同藤井妙子および同竹田豊の各証言、原告多治比(第一・二回)、原告原田および原告国光(第一・二回)各本人尋問の各結果(ただし、いずれも前記および後記採用しない部分を除く。)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 山本校長は、昭和三九年三月一六日ごろ、市教委から本件学力調査の実施に関する文書通達を受け、その後もこれを学校行事計画に組み入れるように指示を受けていたので、同年四月三〇日、校内委員会において、その行事計画への組入れについて協議したが、結論が得られなかつた。そこで、山本校長は、同年五月七日の職員会議において、再度本件学力調査の行事計画組入れを提案し、一応、六月の本件学力調査予定日には他の行事を一切入れないが、行事予定表には当該予定日の欄外に本件学力調査の実施を記入するにとどめることで承認された。

(2) 山本校長は、市教委から昭和三九年六月一五日付で本件学力調査を実施すべき旨の職務命令(通達)を受けたので、同月一六日の職員会議において、教職員に対し、その円滑実施について協力を要請した。これに対し、原告原田は、原告多治比や原告久保を含む厚南中学校教諭八名が同年二月のいわゆる定員闘争に参加したことについて市教委から同年五月六日無断職場離脱を理由に訓告を受けたので、かねてから右訓告の不当を主張してその撤回を求めていたのであるが、右訓告の撤回があるまで本件学力調査の実施に関する討議には応じないと発言した。そこで、山本校長は、訓告撤回の問題と本件学力調査実施の問題とは別個に考えてほしい旨応答したが、結局、両者の意見が一致しないまま学力調査の問題について討議することができず、後日改めて審議する機会を持ちたい旨の教頭発言があり、訓告の問題についても討議を打ち切ることで大多数が賛成して、その日の職員会議を終了した。

(3) 次いで、六月一九日にも学力調査の実施に関して検討するため、職員会議が開かれ、山本教頭が本件学力調査の実施日程等について説明をした。ところが、その説明終了後再び前記訓告撤回の問題が提起され、それが解決しないうちは学力調査の問題討議に応じられない旨の発言が多くなされ、結局、この日も学力調査に関する審議は進展しなかつた。

(4) そこで、山本校長は、県教組が学力調査実施の職務命令には最終的に従う方針をとつてきたので、職務命令を出せば教師もこれに従つて落ち着くであろうとの判断のもとに、翌二〇日の職員朝礼において、教職員に対し、円満な学校運営を考慮して学力調査に関する話し合いの機会を持つように努めてきたが、これに応じてもらえなかつたので、一方的と考えられるかもしれないが本件学力調査の実施をお願いする旨告げ、前日山本教頭と相談して作成しておいた本件学力調査のテスト担当者を命ずる旨の職務命令書を各該当教師に配付し、その場にいなかつた原告原田ほか数名の教師にはこれを郵送した。

これに対し、教職員の多くは、前年度の学力調査の場合にはその実施直前に職務命令が出されたので、山本校長がこの段階で職務命令書の配付をしたことを予想外として驚いた。ことに、原告久保は、同校長に対し、「職員の気持を踏みにじつてもいいのか。今まで校長が言つたすべてのことは偽善であつたのか。今後学校運営に支障が起つてもいいのか。」などとどなつて、右職務命令書の配付に強く抗議した。そして、原告久保は、組合員に対し、山本校長が職務命令書を配付したことについて検討するため職場会を開くので、生徒に自習を命じて礼法室に集合してほしい旨呼びかけた(この事実は当事者間に争いがない。)。これに対し、校長や教頭は、学校運営の円満をはかるためやむをえないものと考えて、右職場会の開催を制止しなかつた。右職場会は約三〇分間継続し(この事実は当事者間に争いがない。)、そこでは、山本校長に対し、右職務命令を一応撤回したうえで学力調査の問題点を討議するように要求することが申し合わされた。

そこで、原告原田および原告久保を含む分会代表約七名は、右職場会の申し合わせに従い、午前一〇時ごろから、校長室において山本校長に対し、前記職務命令の撤回と学力調査に関する討議をするように要求した。これに対し、山本校長は、すでに六月一六日および一九日の両日に討議をする機会があつたのに訓告問題を持ち出して討議を拒否してきたのであるし、本件学力調査の実施当日まで日数もないので今さら話し合う必要はなく、職務命令も撤回しない旨答えて右要求を拒絶した。しかし、その後も右分会代表らは、他の組合員が職員室で待つているから説明してほしいと要求したり、また、一時は他の一〇数名の組合員も右分会代表の校長交渉に参加して、前記職務命令の撤回を要求し続けた。そのため、山本校長は、もう一度教頭と相談して返事をする旨述べ、午後零時二〇分ごろ、右交渉を打ち切つた。

(5) 原告原田は、六月二二日の職員朝礼において、山本校長に対し、職務命令書が原告原田にだけ郵送されたものと思つてその理由を詰問し、同校長からその説明を受けた後、同月二〇日の前記交渉事項について教頭との相談結果の回答を求めた。これに対し、山本校長は、もう話し合つてもしかたのないことと思つたのでそのままにした旨答えたので、原告原田は、「ちやんと連絡をとつてもらわないと困る。当日混乱が起つても知りませんよ。」と抗議した。

右職員朝礼終了後、続いて生徒朝会が開かれ、同朝会において、山本校長は、全校生徒に対し、六月二三、二四日に本件学力調査を実施する旨伝達した。ところが、その時三年生の列の後方にいた原告原田は、本件学力調査の実施については、職員会議で未決定である旨叫んだ(この事実については、当事者間に争いがない。)。そのため、三年生のうち原告原田に近い位置にいた相当数は驚いてその叫び声の方向を振り返つた。

右生徒朝会終了後直ちに、原告原田は職場会を招集し、授業のある組合員はそれぞれ生徒に自習を命じてこれに参加した。この職場会は約二〇分間続けられ(この事実は当事者間に争いがない。)、その場において、山本校長に対し、職員会議の了解を経ないうちに本件学力調査の実施を生徒に伝達したことをただし、かつ、あくまでも前記職務命令を撤回したうえで学力調査に関する論議を進めるために、職員会議の開催を求めることが決められた。

そこで、原告原田は、山本校長に対し、職員会議の開催を申し入れ、同校長もやむをえずこれを認めて直ちに職員会議を招集開催した。この職員会議は、第二時限の休み時間ごろから、昼休みをはさんで、午後三時ごろまで続けられ、当日、生徒はほとんど自習をする結果となつた。そして、右職員会議の冒頭、原告原田は、山本校長に対し、職員会議の決定をまたずに生徒朝会で本件学力調査の実施を生徒に発表したことについて詰問をした。これに続いて、午前中は、原告原田、原告多治比、原告国光や金光、岸名、山村その他の教師がこもごも時に激しい口調で前記職務命令の撤回を要求し、現況ではその撤回をすることはできないとする校長との間で押問答が続けられた。

午後から再開された職員会議では、昼休み時間中に一部の生徒会役員などから生徒会顧問である金光教諭を通じて学力調査に関する討議のため生徒総会の開催を認めてほしいこと、もしそれが認められない場合には学力調査に賛成の教師と反対の教師によつてそれぞれの理由を放送で説明してほしい旨の申入れがあつたので、その許否について協議を重ねた。原告多治比ら数名の教師が生徒の右申入れを許容すべき旨の意見を述べたが、多数はこれに反対し、結局、右申入れは職員会議で拒否することに決定した。その後は、山本校長が前記職務命令を撤回するつもりがないので、本件学力調査を実施せざるをえないとの認識のもとに、職員会議終了後の第六時限の授業をとりやめてホームルームとし、各担任が生徒に対して生徒総会開催等の申入れ拒否のいきさつや本件学力調査終了後の授業の準備について説明することなどを協議し、職員会議を終了した。

(6) 本件学力調査第一日目(六月二三日)の朝、原告国光は、本件学力調査実施当日における組合員の意志統一をはかるため職場会を開くという分会執行部の決定に基づいて、登校してくる組合員を礼法室に誘導した。右職場会は、午前八時四〇分ごろ終了し、職員朝礼の時間に約五分間食い込んだ(この事実は当事者間に争いがない。)。そして、右職場会では、原告原田から、職場命令が出ている以上、これに従わざるをえないが、さらにその撤回を求めてすれすれの線までがんばることなどの話がなされ、次いで、前年度の学力調査にも白紙・無記名答案が出た経験から今回もそのような不正常答案の出ることが予想され、かつ、前記職務命令書に添付された実施説明書には氏名記入等の指導項目が加えられていたうえ、県教組の指令にもあつたので、教師が職場命令どおり実施してもなおかつ不正常答案が出た場合の無答責確認を山本校長からあらかじめ受けておくことが申し合わされた。

そこで、原告原田は、職員朝礼の席上、山本校長に対し、右職場会の申し合わせに基づいて、一応職務命令の撤回を求めたが、山本校長がその撤回を拒否したため、さらに、生徒が白紙や無記名の答案を提出した場合の教師の責任について質問し、かつ、指導しても生徒が応じない場合には教師に責任がない旨の確認書を作成するように要求した。これに対し、山本校長は、教師が責任を負わない場合を説明し、また、確認書の点については、当初は消極的であつたが、組合側の要求が強く、時間も経過するので、その作成を承諾した。その後、原告多治比が本件学力調査開始時刻(午前九時)の到来したことを指摘して職務命令の効力が発効しているかどうか質問したところ、山本校長が少しの時間的ずれはあつてもよい旨答えたので、引き続き学力調査終了後の授業をどのようにするかについて協議し、同校長は学力調査の開始を午前九時二〇分とする旨指示した。

右職員朝礼を終えて、各担当教師は問題用紙等を持参して各担当の教室におもむいた。ところで、原告多治比は、当時、第三学年のアルバム編集責任者となつていたので、いつも教員室の自分の机にカメラを置いておいて、機会あるごとに学校や生徒の様子を撮影してアルバムの編集にそなえようとしていたのであるが、学力調査の受験風景についても撮影の機会があるものと考えて、学力調査実施のため担任の教室におもむく際、カメラも持参した。そして、担任の教室に入つたところ、女子生徒は全員いたが、男子生徒が四、五名しかいないことに気付き、生徒にその理由を問いただしたところ、運動場に出たということだつたので、当該生徒を呼び戻すため答案用紙等をかかえたまま運動場に向つた。その途中、他のクラスの男子生徒五、六名が市教委の柳主事から教室に入つて受験するように注意されているのを見て、同主事には所定の待機場所にいてもらうように告げるとともに、当該生徒に対しても教室に戻るように注意したところ、その生徒達は校舎に入つた。それから、原告多治比は、運動場に出て、その隅にいた担任の生徒に対して教室に入るように呼びかけたところ、生徒が移動しはじめたので、安心して校舎の方向に引き返したが、生徒は運動場の中ほどまできて立ち止つてしまつた。そのとき、吉松教諭が受験を説得するため、生徒達のところに行つたが、原告多治比は、まだ問題用紙等を持つたままであるので、山本校長のもとに行き、学力調査の開始時刻を一〇分遅らせることの許可を受け、その際、同校長から、答案用紙を配布したら他の教師に担当を交替してすぐ受験拒否生徒の説得に当るように言われた。そこで、原告多治比は、直ちに担任の教室に戻り、生徒に答案用紙を配付して主要注意事項を説明し、その担当を坂本教諭と交替して再び運動場に出た。

また、原告原田は、問題用紙等を持つて担任の教室に行つたところ、四、五名の生徒が運動場に出たということでいなかつた。そこで、教室にいる生徒に問題用紙を配付し、職務命令書に添付されている実施説明書を読んだ後これを黒板に掲示して、運動場に出たという生徒を教室に呼び戻すために運動場へ向つた。運動場に出たとき、山本教頭が受験拒否生徒の説得に当つているところであつたが、その説得に苦しんでいる様子だつたので、原告原田は、同教頭に対し、自分が説得してみると申し出た。山本教頭は、原告原田ならうまく説得してくれるものと思つて、原告原田とその場の説得を交替して校長室に戻つた。そこで、原告原田は、生徒に対し、教室に入つて本件学力調査を受験するように説得したが、生徒が非常に興奮していて、これに応じなかつたので、校長室に戻つてその旨山本校長に報告した。そのとき、山本校長は、原告原田に対し、学力調査の担当は他の教師にしてもらうので、引き続き受験拒否生徒の説得に当るように命じた。

他方、原告国光は、学力調査実施のため担任の教室におもむき、生徒に対し、問題用紙を配布するとともに、職務命令が出たので本件学力調査を実施せざるをえない旨話し、かつ、主要注意事項を説明したうえ、職務命令書に添付されている実施説明書を当該職務命令書の上に重ねて黒板に掲示した。

このようにして、原告多治比および原告原田は、第一時限の途中から山本校長の命令を受けて、運動場に出て本件学力調査の受験を拒否している二〇数名の生徒の説得に当つたが、途中から山本校長も自ら右生徒の説得に乗り出した。ところが、第一時限の終りごろに多数の報道関係者が生徒の学力調査受験拒否を取材するために来校したので、生徒はこれに一層刺激された。このとき、原告多治比は、生徒を報道陣の直接の取材対象にさせないようにしなければならないと考えて、男子生徒に対しては「帽子を深くかぶれ。」と、また、女子生徒に対しては「下を向け。名札を付けている者はこれをはずせ。」と指示した。

そのころ、第一時限が終了し、二〇分間の休み時間となつたが、その間に運動場に出て受験拒否に加わる生徒が増加し、折から、直射日光を受けて暑いうえ、報道関係者の取材も続けられていたので、原告原田の提案によつて受験拒否生徒全員を体育館に入れ、そこで山本校長が中心となつてさらに説得を続け、原告多治比および原告原田もこれに当つたが、結局、生徒達はその説得に応じなかつた。

(7) 本件学力調査第二日目(六月二四日)の朝、原告国光は、前日と同様に、登校してくる組合員を礼法室に誘導し、同室において職場会が開催されたが、右職場会は前日同様約五分間職員朝礼の時間に食い込んだ(この事実は当事者間に争いがない。)。そして、右職場会では、前日の学力調査終了後の職員会議における話し合いの結果に基づいてなされた市教委との学力調査中止要請交渉の経過とPTA役員らによる受験拒否生徒の説得がかえつて当該生徒を刺激して担任教師による説得を妨げたことが報告された。

右職場会終了後の職員朝礼において、山本教頭から、前日の市教委との交渉もあつたが、結局学力調査を中止することにはいたらなかつたので、本日の学力調査を実施する旨述べられた。次いで、原告多治比は、市教委三原主事やPTA役員が受験拒否生徒の家庭を訪問して受験を説得した事実などがあつたとし、それが生徒の説得には担任教師が当るという前日の職員会議の決定の趣旨に反し、不本意である旨発言した。そして、この問題について岸名教諭、三浦教諭から意見が述べられ、原告久保が山本教頭に対して右部外者説得の経過報告を求めたので、同教頭がその経過を説明した。さらに、二、三の教師が意見を述べた後、原告久保は、連絡員として来校している三原主事をこの場に呼んでその事情を聞こうと提案し、同主事の行動を善意に解釈すべきであつて、この場に呼ぶことはできないとする山本校長との間で意見をかわした。しかし、葛原教諭らから、「時をおくと生徒のボイコツトも盛り上がる可能性があるので、早く教室に行つてテストをするのがよい。」、「校長放送をしてもらつてテストをしようではないか。」などの発言があり、しかも、そのころから生徒が運動場に出はじめたので、議論を打ち切り、原告多治比や原告原田らが運動場に出た生徒を校長の放送がある旨告げて各教室に入れた。そして、山本校長は、前日の職員会議の協議結果に基づいてあらかじめ用意した生徒に学力調査の正常受験を呼びかける放送の原稿を教職員の面前で読み上げて了解を得たうえ、これに基づいて午前九時四〇分ごろから約一五分前記のとおり校長放送を行なつた。

右職員朝礼終了後、各学級担任は、それぞれの教室におもむき、生徒とともに校長の放送を聞き、さらに、学級担任として、本日の学力調査を平穏に受験するように説得を加えた。ところが、原告多治比の学級では、校長放送の途中から生徒がすすり泣きを始め、それでも納得のいかない者は体育館に集るがよい旨結んだ校長放送が終了すると、ほとんど全員が立ち上がり、涙を流しながら教室を出て行つた。原告多治比は、このような状態ではどうすることもできないものと考えて自分も体育館に行き、山本校長から前日同様受験拒否生徒の説得に当るように命ぜられた。

このような経過で、第一時限の学力調査は結局午前一〇時二〇分から開始されるにいたつた。

以上のとおり認められ、前掲乙第五号証の一、同第七号証の二、同第一三号および同第五八号証、証人山本一男(第一回)、同河口徳明および同山村信男の各証言ならびに原告多治比本人尋問(第一回)の結果中右認定に反する部分は、にわかに採用することができないし、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二) 昭和三九年六月二〇日の違反行為の主張について

(1) 原告久保が、同日の職員朝礼終了後、組合員に対して職場会の開催を呼びかけ、右職場会が授業時間中約三〇分間にわたつてもたれ、本件学力調査の問題について話し合いがされたことは前記のとおりである。

ところで、学力調査に関する問題が教育にかかわる問題であることは否定できないから、教員がこれについて討議することは、当該教員が組合員の立場にあつても、教員の教育専門職としての特殊性に鑑み、その職務の範囲内にあるものと解するのが相当である。しかし、そうであるからといつて、その話し合いのために本来の授業をなすべき義務が当然に免除されることにはならないのであつて、その職務が免除されるためには、さらに校長の承認が必要であるものといわなければならない。この点について、山本校長が右職場会の開催を制止しなかつたことは前記のとおりである。しかし、右職場会開催までの前記経緯に照らすと、同校長が右職場会の開催を承認し、当該組合員の授業をなすべき義務を免除したものと見ることはできないものというべきである。したがつて、原告久保の行為は、公務員としての職務専念義務に違反するものといわなければならない。しかし、右職場会の開催の呼びかけを怠業行為の「あおり」と解するのは妥当でないものというべきである。

(2) また、原告久保および原告原田が、他の分会役員らとともに右職場会終了後校長室におもむき、山本校長に対して職務命令の撤回と学力調査に関する話し合いを要求し、その交渉が一二時二〇分ごろまで続けられたことは前記のとおりである。被告は、右交渉において、原告久保らが職員会議の開催を強要し、一一時ごろから正午過ぎまで職員会議を開催させたと主張するが、右交渉の経過は前記のとおりであつて、前掲乙第五号証の二および証人山本一男の証言(第一回)中右主張にそう部分は、にわかに採用することはできないし、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

ところで、右職務命令の撤回を求めることが職員団体と当該地方公共団体の当局の立場にある校長との交渉事項に該当するか否かについては議論の存するところであるが、仮に交渉事項に該当するとしても、当時原告久保および原告原田に当局と交渉を行なう資格があつたものとは認められないから、当然に職務専念義務が免除されるものではないというべきである。

もつとも、教員が学力調査の問題について校長に話し合いを求めたからといつて、前記のとおり職務外の行為をしたものということはできないが、原告久保らが山本校長に右話し合いを求めるにいたるまでの前記経緯とその交渉経過に照らすと、同校長が原告久保および原告原田らの授業をなすべき義務を免除して交渉にあたつたものと見ることはできないものというべきである。

したがつて、原告久保および原告原田の右行為は、職務専念義務に違反するものといわなければならない。

(三) 昭和三九年六月二二日の違反行為の主張について

(1) 被告は、原告原田が、同日の職員朝礼の冒頭、山本校長に対し、職務命令書を郵送したことをなじるとともに、「当日混乱が起こつても知らないぞ。そういうことで学力テストをやれるものならやつてみい。今後学校運営が麻ひするぞ。」などと暴言をはいた旨主張するが、右職員朝礼の状況は前記認定のとおりであり、前掲証人山本一男の証言(第一回)中被告の右主張にそう部分は、弁論の全趣旨に照らし、たやすく採用することができないし、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

また、原告原田が、右職員朝礼の席上、山本校長に対し、職務命令の撤回を要求しているが、職員朝礼はこれを職員会議の一種と見て妨げないところ、学力調査に関する問題が教育問題であることは前記のとおりであり、したがつて、その実施を命ずる職務命令も教育上の問題を含むものであることは否定できないから、本来、教育上の諸問題に関する協議の場であるべき職員会議(職員朝礼)において、その構成員から右職務命令の撤回を求める発言がなされ、かつ、当該発言者が組合員であるからといつて、主宰者である校長の制止を無視して発言を続行するなど会議の秩序を逸脱しない限り、これを違法とすることはできないものというべきである。

(2) 原告原田が、右職員朝礼後の生徒朝会において、生徒に本件学力調査の実施を告げる山本校長の訓示に対し、職員会議で未決定である旨叫んだことは、前記認定のとおりであり、原告原田の右発言が生徒の本件学力調査受験に対する心理的混乱を与え、その受験拒否に影響を及ぼしたことは否定できないものというべきである。

しかしながら、前記の生徒の本件学力調査受験拒否にいたる経緯と学力調査の実施に関する山本校長と原告原田ら教員との話し合いの経過に照らすと、原告原田の右発言は、山本校長が原告原田らの学力調査反対を前提とする諸要求に応じないことに対するいらだちから、思わず発したものと認めるのが相当であり、したがつて、生徒に対する教師としての教育的配慮に欠け、不謹慎のそしりを免れないとしても、それ以上に、生徒に対して本件学力調査の受験拒否をしむける意図をもつてなしたものと解するのは相当でないから、これを懲戒処分事由とするのは行き過ぎであるといわなければならない。

(3) 原告原田が、右生徒朝会終了後、直ちに職場会を招集し、授業のある組合員はそれぞれ生徒に自習を命じてこれに参加し、右職場会は約二〇分間継続したことについては、前記のとおりである。

ところで、原告らは、右職場会の開催について山本校長の承認がある旨主張するが、原告原田本人尋問の結果中右主張にそう部分は、右職場会開催までの前記経緯および弁論の全趣旨に照らし、にわかに採用することはできないし、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。したがつて、右職場会の開催は職務専念義務に違反するものといわざるをえない。しかし、右職場会の招集を怠業行為の「あおり」と解するのは妥当でないものというべきである。

(4) 被告は、第二次限の終了前から開催された臨時職員会議において、原告多治比、原告原田、原告国光および原告久保が、主導的立場に立つて、他の組合員とともに、山本校長に対し、廊下を通る生徒に聞こえるような大声で、激しくかつ執ように職務命令の撤回を要求し続けた旨主張するが、右職員会議の状況は前記認定のとおりである。これによると、原告原田が分会長として中心的に発言し、また、職務命令の撤回をめぐつてかなり長時間やりとりが行なわれているうえ、発言者の声が廊下から聞こえるときもあつたことは推測しうるが、それ以上に、原告多治比、原告国光および原告久保が主導的立場に立つて職務命令の撤回を要求したものと認めるに足りる証拠はない。

ところで、職員会議の構成員たる教員が、職員会議において、学力調査にかかる職務命令の撤回を求める発言をすることは、それが組合の主張する考え方と同一であつても、会議の秩序を無視するものでない限り、違法でないことは前記のとおりである。また、右職員会議を一日中継続して授業を行なわなかつたことが、生徒の本件学力調査受験拒否行動に何らかの影響を及ぼしていることは考えられないではないが、前記生徒の本件学力調査受験拒否にいたる経緯に照らすと、原告原田らが、生徒の受験拒否を予期かつ期待して、そのために右職員会議を長引かせたものと見ることはできないものというべきである。

したがつて、右職員会議での原告原田らの発言や態度をもつて懲戒処分事由とすることは相当でないといわなければならない。

(四) 昭和三九年六月二三日の違反行為の主張について

(1) 被告は、原告国光が登校する組合員を礼法室に誘導して職場会を開いた旨主張するが、右職場会開催の経緯は前記のとおりであつて、原告国光がこれを開いたとの主張は当らないし、右職場会の時間が勤務時間(職員朝礼)に食い込んだのもわずか五分にすぎないのであるから、寸時を争う職場であればともかく、ことさら懲戒処分事由とするほどのことではないものというべきである。

(2) また、同日の職員朝礼の経過は前記認定のとおりである。被告は、原告多治比も主として発言し、山本校長に不法な要求を続けた旨主張するが、前掲乙第一三号証、同第五八号証および証人山本一男の証言(第一回)中右主張にそう部分は、前掲乙第五号証の四および原告多治比本人尋問(第一回)の結果に照らし、採用することはできないし、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

ところで、職員会議の場においては、前記のとおり、あらゆる教育上の問題について発言し、討議することも教員の職務内の行為として当然にできるが、校長に対し、学力調査の実施に伴う教員の無答責確認書の作成交付を要求することまで教員の職務内の行為と見ることはできないものというべきであるから、これを職員会議で主張することは許されない。しかし、職員会議は、もともと教員の自主的な話し合いの場であるから、会議の主宰者である校長の制止を無視するなどのことがない限り、ことさら職務専念義務違反とするほどのことはないものというべきである。

また、被告は本件学力調査第一時限の開始時刻を過ぎても原告原田および原告多治比が教室におもむかなかつた旨主張するが、これは、右職員朝礼が第一時限の開始時刻を過ぎても継続したことによるものであつて、他の教員も同様である。しかも、右職員朝礼が多少長びくことについては、山本校長も認めていたのであるから、これをもつて原告原田および原告多治比の職務専念義務違反とすることはできない。

さらに、前記生徒の本件学力調査拒否にいたるまでの事情に鑑みると、原告原田および原告多治比が、生徒の右拒否行動を予期して故意に右職員朝礼の引き延ばしを図つたものと見ることはできないものといわなければならない。

(3) 被告は、原告原田が三年六組のテスト担当を命ぜられていたにもかかわらず、第一時限に無断でその職務を放棄して運動場に出た旨主張する。しかし、原告原田が第一時限に運動場へ出た経過は前記認定のとおりであつて、テスト担当を命ぜられた原告原田が運動場に出た生徒を呼び戻しに行くことも、むしろ当該職務命令の範囲に含まれるものと解されるのであり、しかも、運動場に出て一応生徒に説得を試みたが、生徒がこれに応じなかつたので、山本校長からテスト担当を他の教員と交替して引き続き受験拒否生徒の説得に当るべき旨の命令を受け、これに当つたのであるから、原告原田が無断でテスト担当者の職務を放棄したものということはできないものというべきである。

(4) さらに、被告は、原告多治比が、第一時限に、担任の三年七組の残留している生徒の面前で職務命令書を読み上げたうえ、「男子はいないのか。女子はテストを受けるのか、先生は応援に行こうか。」と発言した旨主張するが、前掲乙第五号証の一、同第一四号証および証人河口徳明の証言中右主張にそう部分は、原告多治比本人尋問(第一回)および弁論の全趣旨に照らし、採用することはできないし、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

また、被告は、原告原田および原告国光が各担任の教室の黒板にそれぞれ職務命令書を張り付けたと主張する。しかし、原告原田および原告国光は、前記認定のとおり、職務命令書に添付されていた実施説明書を黒板に張り付けたものであつて、前掲乙第六号証の一、同第七号証の二および四、同第一四号証ならびに証人河口徳明の証言中被告の右主張にそう部分は、原告原田および原告国光(第一回)各本人尋問の各結果ならびに弁論の全趣旨に照らして採用することはできないし、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。そして、右実施説明書の黒板掲示をもつて、原告原田および原告国光が生徒に対して本件学力調査の受験拒否を扇動したものと見ることもできないものというべきである。

(5) 被告は、第二時限以降、原告多治比および原告原田が本件学力調査の受験を拒否している生徒を説得するように命令を受けていたのに、その説得をしなかつた旨主張するが、原告多治比らが当該生徒の説得に当つたことは、前記認定のとおりである。

また、報道関係者が生徒の受験拒否行動の取材に集つた際、原告多治比は、生徒に対し、前記のとおり「帽子を深くかぶれ。胸の名札を取れ。」などと言つているが、その発言のなされた経緯から見て、生徒に受験拒否を扇動するものでないことは明らかである。

さらに、被告は、第二時限以降、原告多治比が、生徒に対し、自分の意志どおりやれと申し向けたり、カメラを肩にかけて教室の廊下や校庭を歩きまわつていた旨主張するが、前掲乙第一三号証、証人山本一男(第一・二回)および同森本浩の各証言中右主張にそう部分は、原告多治比本人尋問(第一回)の結果および弁論の全趣旨に照らし、にわかに採用することはできないし、そのほかに右主張を認めるに足りる証拠はない。

(五) 昭和三九年六月二四日の違反行為の主張について

(1) 原告国光の職場会開催の主張については、右(四)(1)と同様であつて、とりたてて懲戒処分事由とするほどのことではないものといわなければならない。

(2) また、被告は、原告多治比が、同日の職員朝礼において、山本校長に対し、市教委三原主事等が受験拒否の主謀者とみられる生徒の家庭を訪問して正常に受験するように説得したことを執ように非難し、同主事を同朝礼の場に呼んで釈明させることを要求して譲らなかつた旨主張するが、右職員朝礼の状況は前記認定のとおりであつて、被告の右主張をそのまま認めることはできない。

したがつて、右職員朝礼での原告多治比の発言自体は、前記の職員会議の場合における発言と同様、職務専念義務違反に該当しないものというべきである。また、第一時限の開始がその予定時刻よりも一時間二〇分遅れるにいたつたが、それは、右職員朝礼が長びいたことのほか、運動場に出始めた生徒を教室に入れる時間と生徒への受験説得のための校長放送の時間が加わつたことによるものであるところ、右職員朝礼における原告多治比の態度や前記生徒の本件学力調査受験拒否にいたるまでの事情に鑑みると、原告多治比が前日に続く生徒の受験拒否を期待して故意に右職員朝礼を長びかせたものと見ることはできないものといわなければならない(前掲乙第一二号証中これに反する部分は採用することができない。)。

(3) さらに、被告は、原告多治比が、第一時限に担任の三年七組の教室において、生徒に対し、「学力調査を受けるかどうかは生徒が自分で判断すべきことである。」と発言して受験拒否をそそのかした旨主張する。しかし、前掲乙第七号証の五および証人恵羅大典の証言(第一回)中右主張にそう部分は、原告多治比本人尋問(第一回)の結果に照らしてにわかに採用することはできないし、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

三  原告五十川に対する処分事由の存否について

1  生徒に対する本件学力調査拒否の扇動について

(一) 成立について争いのない乙第二一号証、同第二二号証の一・二、証人川野九一の証言(第一・二回)によつて真正に成立したものと認められる乙第八号証、同第一〇号証、同第一九・二〇号証の各一および同第五九号証の一から四まで、証人河野和夫の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第二三号証、証人川野九一(第一・二回)、同河野和夫、同中本明子および同浜崎多津子の各証言、原告五十川本人尋問の結果(ただし、いずれも後記採用しない部分を除く。)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 本件学力調査の実施された昭和三九年六月二三・二四日の両日、橘町立安下庄中学校では、三年生は本件学力調査を異常なく受験したのに、二年生の中には、教室外に出てその受験を拒否したり、白紙・無記名答案を提出したりした者があつた。その各学級における受験状況概要は別表第二記載のとおりである。

(2) 原告五十川は、昭和三六年以来学力調査の実施に強く反対していたことは前記のとおりであり、ことに、県教組大島支部書記長としてその態度を公然と表明し、保護者等との懇談会をもつたり、ビラ配りやステツカー張りをするなどして積極的に学力調査反対の活動をしてきた。なお、本件学力調査実施当時、安下庄中学校における県教組組合員の教師は、病気休職中の一名を除いて、原告五十川だけであつた。

(3) 原告五十川は、昭和三九年四月から、二年五組の学級担任をし、かつ、第二学年の国語の授業を担当していたものであるが、本件学力調査実施前のホームルームや授業時間等において、生徒から学力調査に関する質問を受け、次のとおり答えた。

(ア) どういう形式の問題なのかという問に対し、「四つか五つ答が用意されていて、その中の正しいものに丸をつけるんですよ。すべてといつていいくらいそれですよ。」と、「それじやまぐれで四つか五つに一つ当るじやないか。」との問に対し、「それはそのとおりです。」と、さらに、「知らんでもどこかへ丸をつけた方が得ですね。」との問に対し、「テストの点からいえばそういうことになるでしよかね。」と答えた。

(イ) 学力調査について違法判決が出ているのではないかとの問に対し、「違法の判決も出ているし合法の判決も出ているので、しかもこれは最終審ではないので、それでもつて違法だということはできないと思います。しかし、学校というところはみんなのように選挙権のない人達にこつちの思うことを押しつけるところなので、合法の判決も出てるし違法の判決も出てるようなことについては、私はみんなに押しつけるのはどうかと思う。」と答えた。

(ウ) 成績と関係があるかとの問に対し、「みんなの成績とは関係はありません。ただ、みんなの勉強の結果なんかを書きとめておく指導要録というのがあつて、それに書き込ませるということが未定なんだ。もし書き込ませるということになれば、出てる数字だからすぐ書き込める。」と、次いで、「それは何にするんか。」との問に対し、「それは例えば君達が高校を受ける場合には、その写しが高校に行くんですよ。」と答えた。

(エ) 学力調査の目的は何かという問に対し、文部省のいう教育課程に関する方策の樹立と学習指導の改善に役立てる資料とし、教育条件の整備にも利用するという目的について話をし、そのあとで、自分としては文部省のいうようなことは無理に学力調査をやらないでもわかるように思う旨の意見も話した。

(オ) 「このテストに対してどうすればいいか。」とか、「白紙で出したらどうなるのか。」という質問に対し、「私はそれに答れる立場にはありません。」と述べた。

(4) また、原告五十川は、教師となつて以来、生徒から提出される日記を通して生徒と教師との対話等をはかるといういわゆる日記指導を採用してきたものであるが、本件学力調査に関して書かれた生徒の日記についても同様、日記指導を行なつた。

(5) 本件学力調査第一日目第三時限に受験を拒否して運動場に出ていた女子生徒一五名を教員室に集めて川野校長および佐村教頭が運動場に出た理由を尋ねたところ、その生徒の中には、「学力テストは文部省が無理やりにやらすから。」、「進学や就職に影響するから。」、「テストをやると順番をつけるから。」、「答案を返してもらえないから無意味だ。」、「学力テストではマルバツ式だから学力がよくわからない。」などと主張する者があつた。

(6) 原告五十川は、本件学力調査実施の数日前、担任生徒の中原康江の家庭を訪問し、同人に対し、本件学力調査を受験するように言つた。

以上のとおり認められる。そして、以上の事実を総合すると、原告五十川は、本件学力調査反対の一方法として、生徒に対し、学力調査の非合理的側面をことさら強調して、暗に本件学力調査の受験を拒否するように働きかけをしたのではないかという疑問も考えられないではない。

(二) しかし、昭和三六年以来、学力調査に関する問題が書籍や全国紙の論説、記事等としてとり上げられてきており、ことに、本件学力調査の実施が近付いたころに学力調査を違法とする判決のあつたことや学力調査の弊害を指摘する学力調査学術調査団の調査報告が報道機関によつて報道されたこと、白紙答案等は他の学校でも多く見られたことおよび日教組・県教組が学力調査反対闘争によつて処分を受けないようにするため、最終的には職務命令に従つて学力調査を実施するとの方針を昭和三七年からとつてきたことは前記のとおりである。

さらに、前掲の甲第一一号証、乙第八号証、同第一〇号証および同第二三号証、証人川野九一(第一・二回)、同河野和夫、同中本明子および同浜崎多津子の各証言、原告五十川本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 原告五十川は、昭和三六年の学力調査以来、学力調査に反対していたためにそのテスト担当者を命ぜられておらず、本件学力調査についても、昭和三九年六月一七日ごろ佐村教頭からテスト担当者にしない意向を伝えられ、原告五十川の了解を求められたので、これを承諾した。しかし、二年五組の学級担任であるから、川野校長が全校生徒に本件学力調査の実施を告げてその際の注意事項を訓示した同月二二日には、ホームルームにおいて生徒にその趣旨を繰り返えして伝達し、また、本件学力調査実施第一日目の朝のホームルームにおいても、机の配列を試験のときの配列である名簿順になおさせ、かつ、担当者の指示に従つて学力調査を受けるように話した。

(2) 本件学力調査の受験を拒否したり、白紙答案を提出した二年五組の生徒の中には、学力調査の問題について、家族の者から話を聞いたり、前記学力調査違法判決や学力調査学術調査団の調査報告の各新聞報道を読んだりして、学力調査を受験することに抵抗感を持ち、同級生あるいは他学級の友人と話し合いをしたりした者があつた。ことに、原告五十川のクラスでは、原告五十川が他学級の授業参観のため自習となつたとき、生徒が学力調査の是非をめぐつて討議し、学力調査を受験するかどうかは各人が決めるべきことであつて、この場でどちらかに意志統一をすべき問題ではないとされた。また、本件学力調査実施直前には、他の学級でも生徒から学力調査について担任教師に質問があつた。

(3) 本件学力調査第一日目の第三時限に女子生徒が一五名も初めて教室外に出て受験を拒否したが、当該拒否生徒は、第三時限開始前の休み時間に受験状況について話をしていたとき、ある生徒が氏名を書かなかつたために担当の教師から殴られたといううわさを聞いて、いきどおりを感じ、もともとテストそのものに嫌悪感を持つたり、学力調査の受験に抵抗感を抱くなどしていたので、そのまま教室に入らず、第三時限の学力調査の受験を拒否してしまつた。

(4) 原告五十川は、前記のとおり本件学力調査のテスト担当者を命ぜられていなかつたし、その実施が具体的にどのようにされるかについては関心がなかつたので、生徒から前記のとおり「学力調査に対してどうすればよいか。」とか「白紙で出したらどうなるか。」という質問に対してそれに答える立場にない旨の話をしたのであり、また、生徒から学力調査に関する質問を受け、生徒が深い関心を持つていることは知つており、とくに中原康江については、日記を通して白紙で出すかどうか非常に悩んでいることを知つたので、同人の家庭を訪問して同人に受験するように話したが、同人以外の生徒については、白紙で出すことを考えている者があるとは思わなかつた。

(5) 原告五十川は、教職について以来、自主性のある子どもを育てることを教育方針とし、そのためにはまず教師と子どもの心の触れ合いが必要であると考え、その方法としていわゆる日記指導を続けてきた。さらに、生徒を数班に分け、生徒自身が班目標を設定し、その目標達成のために班内で相互にたすけ合い、批判をし合つて、その全体的向上をはかり、教師はこれに指導助言をするといういわゆる集団主義教育をとり入れた。そして、原告五十川は、生徒にいろいろな方向からの思考力をつけさせるために、生徒の意見に対しては、それと反対の意見を向けて考えさせるようにしてきた。

以上のとおり認められる。そして、以上の事実と前記(第二・二・1・(二))中学二・三年生の持つ特性とをあわせ考えると、学力調査の問題点や功罪・受験状況などについては昭和三六年以来マスコミでとり上げられており、ことに、本件学力調査実施のころには、学力調査違憲判決やその弊害を指摘する調査報告などが新聞等で報道され、また、日教組、県教組の学力調査反対活動も行なわれていたのであつて、このような社会状況の中において、学力調査の対象となる生徒自身が中学二・三年生にもなれば、これに強い関心を示す者があらわれてもなんら不思議はない。とりわけ、原告五十川のクラスのように、いわゆる集団主義教育を実践している場合には、その可能性は大きいといえるのであつて、これらの生徒が学力調査の問題について自ら考え、友人あるいはクラス全体で話し合い、担任教師にその抱く疑問を問いかけていつたものといえる。そして、学力調査についてあくまでも納得のいかない生徒の中で、単に議論するだけにとどまらず、白紙・無記名答案の提出やいわゆるボイコツトの直接行動に訴えた者が現れ、あるいはテストそのものを嫌つて逃げ出し、ことに、第一日目第三時限に学力調査の受験をボイコツトした女子生徒一五名の場合には、担当教師の監督方法に対する反発がその直接の動機となつたものと考えられる。したがつて、原告五十川が生徒の質問に対して答えたことが、生徒の本件学力調査拒否行動に影響を及ぼした面のあることは否定できないとしても、それ以外にも多くの要因が考えられるのであつて、原告五十川の右言動が生徒の受験拒否の主たる原因であるとは断定しえないものというべきである。

のみならず、中学校教諭は、生徒の教育を掌るものであるから(学校教育法第四〇条、第二八条第四項)、生徒からある事項について質問を受けた場合、それがその生徒にとつて教育的意味を有しないものでない限り、その質問に対して教育的見地から答えるべき義務があるものといわなければならない。そして、学力調査に関する事項が生徒にとつてなんら教育的意味を有しないものとはいえないから、教師が学力調査について生徒の質問に答えることは、当該教師にもつぱら生徒の質問を利用して自己の一方的意思を押しつけ、それに従つた行動をさせようとする意図が認められない限り、当該教師の教育活動そのものであつて、とうてい学力調査の受験拒否を教唆扇動する行為であると解することはできないものといわなければならない。ところで、生徒の質問に対する原告五十川の前記応答自体、ことさら応答の限度を超えたものではなく、前掲乙第二一号証、同第二二号証の一・二のいわゆる日記指導についても、原告五十川の意見を生徒に押し付けるものとは認められないし、また、原告五十川が、学力調査そのものに反対してきたとしても、生徒を手段としてまでその阻止をはからなければならない理由はうかがえないのみならず、テスト担当の職務命令は受けていないが、学級担任として、生徒に対し、テスト担当者の指示に従つて本件学力調査を受験するように話しているのであるから、原告五十川が生徒に本件学力調査の受験拒否をさせる意図で前記の質問に対する応答をしたものとは考えられない。

(三) したがつて、以上の諸事情に照らすと、前記(一)の事実から直ちに、原告五十川が、本件学力調査実施前の授業時間中もしくはその他の機会に、生徒に対し、本件学力調査の違法等を強調し、もしくはその他の方法でその受験拒否を教唆扇動したものと推認することはできないものというべきである。前掲乙第八号証、同第一〇号証、同第一九号証の二、同第二〇号証の一、同第二二号証の二および同第二三号証ならびに証人川野九一の各証言(第一・二回)中、原告五十川が生徒に対して本件学力調査の受験拒否を教唆扇動したものとする趣旨の部分は、にわかに採用することができないし、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

2  事後指導の職務命令違反について

(一) 前掲証人川野九一の各証言(第一・二回)および原告五十川本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる乙第九号証によると、次の事実が認められる。

川野校長は、昭和三九年八月二七日、原告五十川に対し、担任の二年五組の生徒が本件学力調査の受験を拒否したことに関し、当該生徒に対して学力調査に反対してとつた行動が誤つていたことを同年九月一日から指導するように話した。これに対し、原告五十川は、生徒の行動が誤りであるときめつけることはできないし、自分自身学力調査を基本的に正しくないものと考えるので、同校長のいうことがその要望であればそれに従わない旨答えた。そこで、川野校長は、原告五十川に対し、同校長のいうように指導すべき旨の職務命令を出すと告げたところ、原告五十川は、職務命令であれば従うが、生徒には校長から右命令を受けたことを伝えたうえでこれを実行する旨述べた。しかし、同校長は、そのような前置きをつけるのはかえつて生徒を混乱させるし、教師がその内容を正しいものとして指導するのでなければ真の指導とはいえないから、その前置きを除いて指導するように命じたので、原告五十川は、そのような事後指導はできないものとして拒否した。

以上のとおり認定することができ、右認定事実によると、原告五十川は、生徒の学力調査反対の行動が誤りであつたことを昭和三九年九月一日以降生徒に指導すべき旨の職務命令を川野校長から受け、かつ、その実行に際しては、校長から命令を受けたのでその命令に従つて指導を行なう旨の生徒に対する前置きをつけないで実行するように命ぜられたが、これを拒否して同校長の命じた内容の事後指導を行なわなかつたものというべきである。原告五十川本人尋問の結果中、川野校長の職務命令は結局出されなかつた旨の部分は、採用することができない。

(二) しかしながら、生徒について、教育上の見地からその指導を必要とする現象が生じている場合において、当該生徒の教育に直接携わる教師がこれを放置してなんらの教育的配慮をしないときは、校長がその有する監督権(学校教育法第二八条第三項、第四〇条)に基づいて当該教師に対し何らかの教育的措置を講ずべきことを命じうることは否定できないとしても、それ以上に、単なる指導助言であればともかく、その指導の内容・方法等を具体的に指示してその実行を命じることは、本来教育は担当教師がそれぞれの生徒の特質を把握し、その時の具体的状況に応じてその最も適当と考える方法でなされるものであつて、特段の事情がない限り、一義的に決しうるものではないから、明らかにその監督権の範囲を逸脱するものといわなければならない。

これを本件についてみると、川野校長の原告五十川に対する前記事後指導の職務命令は、指導すべき内容および時期を具体的に特定してなしたものと考えられるから、校長の監督権限を逸脱して教師の具体的教育内容に介入するのそしりを免れない。したがつて、原告五十川が右の一義的な職務命令を右認定のような理由で拒否したからといつて、直ちに懲戒処分事由に該当するものとは即断しえないというべきである。

四  原告久保に対するその他の処分事由の存否について

1  原告久保が、昭和三八年度に担任をした三年六組の生徒の指導要録を昭和三九年三月二六日までに校長に提出しなければならなかつたのに、昭和四〇年三月三日になつてこれを提出したことおよびその指導要録のうち山口県立高等学校進学者一九名中一二名のものの記載内容に、原告久保が記入して昭和三九年四月に当該各高等学校に送付した右指導要録の抄本の記載内容と別表第三記載のとおり不一致があることについては、当事者間に争いがない。右事実によると、原告久保は、指導要録の作成に関し、職務上の義務に違反し、義務を怠つたものというべきである。

2  無断欠勤について

(一) 原告久保が、昭和三九年七月七日午後、沖繩解放国民大行進に参加して職場を離れたことについては、当事者間に争いがない。そして、成立について争いのない甲第一七号証、前掲証人山本一男の証言(第一回)および原告久保本人尋問の結果(ただし、後記採用しない部分を除く。)によると、次の事実が認められる。

山本教頭は、同日午前中、原告久保から、同日午後に組合の執行業務で外出する旨の申し出を受け、当時、厚南中学校では、県教組宇部支部執行委員の教員が執行業務に従事するときは、距離的関係を考慮して午後の勤務時間に限り、休暇の手続によらないで勤務を離れることを認める扱いにしていたので、その申出を承認した。しかし、同日に沖繩解放国民大行進があることを思い出して、原告久保に同行進参加のための外出であることを確め、それが父兄の目につくことを心配して、休暇届を提出したうえで出るように要求した。これに対し、原告久保は、同行進には県教組も参加するのであり、これに宇部支部執行委員として関与するのであるから、休暇願を出す必要はないとして、同教頭の要求を拒否し、前記のとおり職場を離れた。

以上のとおり認められ、原告久保本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、前掲証人山本一男の証言(第一回)に照らし、採用することができないし、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、厚南中学校において認められていた右扱いの対象となる組合の執行業務とは、それに従事しても休暇の取扱いをしないというものであるから、特段の事情がない限り、給与、勤務時間その他の勤務条件に関し当該地方公共団体の当局と交渉することに関連のある業務でなければならないものと解するのが相当である。

したがつて、前記行進に執行委員として参加することが組合義務のためであるとしても、右にいう業務でないことは明らかであるから、結局、原告久保は、山本教頭に休暇の承認を受けないで職務を離れたものというべきである。

(二) 原告久保は、昭和四〇年一月一三日、木脇校長に対し、同月一四日から同月一七日まで開催された日教組教育研究集会に出席するため、同月一四日および一六日について特別休暇の申請をした。これに対し、同校長は、市教委の方針および校長会の申し合わせを説明して右申請を認めず、年次有給休暇であれば承認するからその手続をとるように求めた。しかるに、原告久保は、「あくまでも特別休暇で行く。後の交渉は組合にまかせる。」と言つて同校長の要求する手続をとらないで右集会に参加し、右両日、学校に出勤しなかつた。以上の事実については、当事者間に争いがない。

ところで、右事実によると、原告久保の申請は、特別休暇承認申請であつて、予備的にせよ年次有給休暇承認申請をも含むものとは解されないところ、木脇校長は、原告久保の右申請を拒否したのであり、しかも、仮に当該拒否処分が違法であつても、年次有給休暇の場合と異り、当該申請を承認したものとする法律効果は生じないと解すべきであるから、原告久保が前記研究集会参加のため勤務場所を離れたことは違法であるものといわざるをえない。

(三) また、原告久保が、校長の事前の承認を受けないで、昭和四〇年二月三日佐世保市で行なわれた原子力潜水艦入港反対デモに参加し、同日勤務場所を離れたことについても、当事者間に争いがない。

ところで、原告久保は、右デモ参加に際しては事前に年次有給休暇の承認を受ける時間的余裕がなかつたので、村井講師にその旨校長への連絡を依頼しておいたし、事後にその承認を受けたのであるから、無断欠勤ではないと主張する。しかし、証人木脇保の証言およびこれによつて真正に成立したものと認められる乙第四〇号証、証人山本一男(第一回)の証言ならびに原告久保本人尋問の結果(ただし、いずれも前記および後記採用しない部分を除く。)によると、次の事実が認められる。

原告久保は、昭和四〇年二月二日午前中、数学の問題を作成していたとき、村井講師からその問題を使用させてほしい旨要請されたので、これを承諾したが、その際、同講師に対し、翌三日は佐世保に行くかもしれないから、そのときは生徒に右問題をやらせておいてほしい旨依頼した。そして、原告久保は、二日午後五時過ぎ県教組から右デモ参加の動員連絡を受けて、午後一一時ごろ佐世保に向け出発した。翌三日、木脇校長は、職員朝礼に原告久保の姿が見えなかつたので、不出勤の連絡の有無を調べたが、その届を受けた者はいなかつた。そのため、同日の原告久保の担当教科についてそれぞれ補教を割り当てる手当をした。そして、第二時限になつて、山本教頭は、村井講師から原告久保が佐世保に行つたらしいとの報告を受けた。そこで、山本教頭は、翌四日、原告久保に対し、前日欠勤の事情をたずねたところ、原告久保は、佐世保行きのことを他の教師に話しているからわかつているものと思つた旨答え、年次有給休暇許可願いを出すことを約した。しかし、右願いは同月一三日になつて提出された。このような経緯から、木脇校長は、従来からいわゆる事後承認をする例はあつたが、原告久保の場合については事後承認をしなかつた。

以上のとおり認められ、成立について争いのない甲第一七号証および原告久保本人尋問の結果中右認定に反する部分は、採用することができないし、成立について争いのない甲第二〇号証も右認定を妨げるものではなく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

そして、右認定事実からすると、原告久保は、事前に年次有給休暇の届を出してその承認を受ける時間的余裕があつたのに、これをしないで佐世保に行つたのであり、また、これについて事後の承認もないし、かつ、事後承認の認められるやむをえない場合にも該当しないというべきであるから、結局、無断で勤務場所を離れたものといわざるをえない。

第三本件処分の適否について

一  原告多治比、原告国光および原告五十川に対する各懲戒処分の適否について

原告多治比、原告国光および原告五十川に対する被告主張の各懲戒処分事由については、前記のとおり、いずれもこれを認めることができないが、もしくは懲戒処分事由とすべきものではないから、右原告らに対する懲戒処分は、被告のその余の主張について判断をするまでもなく、違法であるものといわなければならない。

二  原告原田に対する懲戒処分の適否について

1  原告原田について認められる懲戒処分事由は、前記のとおり、昭和三九年六月二〇日いわゆる校長交渉をしてその間授業を行なわなかつたことおよび同月二二日約二〇分間職場会を開催してその間授業を行なわなかつたことである。

ところで、原告原田が右の授業を行なわなかつたことが、本件学力調査の実施を目前に控えた生徒の心理に全く影響を及ぼさなかつたものとは断定できないとしても、前記生徒の本件学力調査受験拒否にいたるまでの経緯に照らすと、それは極めてわずかにすぎないものというべきであり、また、原告原田が生徒の受験拒否行動を意図して右違反行為をしたものと見ることもできない。

しかも、右職務専念義務違反は、学力調査という教育上の問題について、教員相互でこれに対する態度を話し合い、あるいは、校長に対してそのテスト担当を命ずる職務命令の撤回や討議を求めたことによるものであつて、全く職務外の遊興などをしていたためではない。のみならず、全国学力調査については、前記のとおり、その実施当初の昭和三六年以来、教育的見地はもとより、法律的見地からも批判が加えられてきており、ことに本件学力調査実施の約三か月前には、下級審ではあるが学力調査を違法とする裁判があり、また、直前には、その現実の弊害を指摘する報告も新聞で報道されていたのであるから、仮に学力調査が適法であるとしても、教員として学力調査を違法と考えるのが不合理であるとはいえない状況にあつたものというべきである。したがつて、本件学力調査の実施日を目前に控え、職務命令によつてその実施を図ろうとする校長に対し、学力調査に反対の見地から、職務命令の撤回と学力調査に関する問題点の討議を求め、あるいは、教員相互で協議するため、前記程度の授業時間を使用し、生徒を自習状態に置いたことには、やむをえない面があるともいえるのであり、その職務専念義務違反の違法性は軽微なものといわなければならない。

2  証人山本一男(第一回)の証言(ただし、前記および後記採用しない部分を除く。)によると、厚南中学校には職員出勤簿が備えられているが、原告原田は、出勤のつどこれに押印はしていなかつたことが認められる。

被告は、これについて、宇部市立学校教職員服務規程第八条および上司の再三の注意を無視して押印をしなかつた旨主張するが、同規程の存在および内容については立証がなく、かつ、上司の注意があつたことを認めるに足りる証拠はない。

ところで、出勤簿への押印を要求する目的が職員の出勤状況の記録と確認であれば、手数はかかるとしても休暇願等の書類によつてもできるわけであり、また、成立について争いのない甲第一九号証の一・二ならびに原告国光(第一回)および原告久保各本人尋問の各結果(ただし、前記および後記採用しない部分を除く。)によると、職員の欠勤・出張等は校務日誌や毎日の職員朝礼によつても把握できるようになつているし、また、昭和三八、三九年当時、出勤簿に毎日押印をしていない職員もかなりおり、担当係の岩崎教諭が時折押印をしていない職員のところに行つて押印を求めることはあつたが、校長や教頭がその押印について直接注意をしたことはなかつたことが認められ、証人山本一男の証言(第一回)中右認定に反する部分は採用することができないし、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

したがつて、右のような事情のもとでは、原告原田の右出勤簿押印状況をもつて平素の勤務態度にとくに問題があつたとするほどのことはないものというべきである。

3  証人恵羅大典(第一・二回)の証言(ただし、前記および後記採用しない部分を除く。)によると、原告原田および原告久保は、本件学力調査第一日目終了後の午後四時過ぎごろ、他の組合員らとともに市教委におもむき、第二日目の学力調査の中止を要求し、午後一一時三〇分ごろまでその交渉をしたことが認められる。

しかし、証人河口徳明および同山村信男の各証言ならびに原告多治比本人尋問(第一回)の結果(ただし、前記採用しない部分を除く。)によると、厚南中学校では、生徒の学力調査受験拒否で学校が非常に混乱したので、生徒を下校させた後職員会議を開き、事態収拾について討議を行なつた結果、一応市教委に翌日の学力調査を中止するように要望してみることが決定されこれに基づいて前記のとおり中止要求をしたことが認められる。

したがつて、右中止要求は、右混乱収拾のひとつの方法として考えられたもので、必ずしも非常識な行為ということはできない。

4  また、原告原田の懲戒処分の適否の判断に考慮すべき事情として被告の主張する教育効果の破壊、学力調査の結果利用の阻害、世論の動向、山本校長の自殺については、いずれも生徒の本件学力調査拒否の責任が原告原田にあることを前提として初めて考慮すべき事情があると解すべきであり、また、その余の被告主張の事情も、懲戒処分事由として認められた義務違反以外の服務上の義務違反を前提とするものと考えられるから、それらが認められない以上、当該各事情の有無にかかわらず、これを考慮すべきではないものというべきである。

5  以上の点から考えると、義務違反の程度の軽微な懲戒処分事由によつて、原告原田に対し停職四月の懲戒処分を行なうことは、極めて過酷であつて、社会通念上著しく妥当を欠くものというべきであり、他に右処分を相当とすべき事情もうかがえないから、原告原田に対する懲戒処分は違法であるものといわなければならない。

三  原告久保に対する懲戒処分の適否について

1  懲戒処分事由の義務違反性の程度について

(一) 職務専念義務違反

原告久保の職務専念義務違反は、前記のとおり、昭和三九年六月二〇日約三〇分間の職場会を開催してその間授業を行わず、また、右職場会に引き続いていわゆる校長交渉をし、その間授業を行なわなかつたことであるが、前記生徒の本件学力調査受験拒否にいたるまでの経緯に照らすと、原告久保が生徒の受験拒否行動を意図して右違反行為をしたものと見ることはできないし、また、右違反行為については、前記の原告原田の違反行為と同様の状況下になされたものであつて、やむをえない面があるともいえるのであり、かつ、生徒の拒否行動に対する影響もわずかにすぎないものというべきである。

(二) 生徒指導要録の提出遅延

前掲甲第一七号証および乙第四〇号証、成立について争いのない乙第二五・二六号証の各一・二、同第二七号証、証人恵羅大典の証言(第一回)の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第四一号証、証人山本一男(第一回)、同恵羅大典(第一回)および同木脇保の各証言、原告久保本人尋問の結果(ただし、いずれも前記および後記採用しない部分を除く。)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 生徒指導要録は、中学校の生徒の学籍ならびに指導の過程および結果の要約を記録し、指導および外部に対する証明等のために役だたせるための原簿であり、その保存期間は二〇年とされている。

(2) 原告久保は、第一・二学年の担任生徒については、指導要録を次年度に引き継がなければならないから、所定期間内に各担当部分を記入して提出していたが、昭和三八年に初めて担任した第三学年の生徒については、卒業してしまうため、第一・二学年の生徒の指導要録のように急ぐことはないものと安易に考え、次年度の一学期を経過した。しかし、高校進学者については、その進学先の高校に当該生徒の指導要録の抄本を早急に送付しなければならないので、指導要録の原本は作成していないが、抄本だけをとりあえず作成して提出した。そして、その間、担当係の黒瀬教務主任から何度か督促を受け、職員室の提出場所には「未提出」と記載した紙も掲示されていた。そこで、原告久保は、二学期から指導要録の作成にとりかかり、同学期中にほぼ完了していたが、さらに点検するつもりで手もとに置いていてそのままになり、昭和四〇年三月二日に木脇校長自身から初めて督促を受け、結局、最終点検をしないまま翌三日指導要録を同校長に提出した。

(3) 原告久保の右指導要録提出遅延によつて、その提出まで結局昭和三八年度三年生全体の指導要録の整理が完了しなかつた。また、木脇校長は、原告久保が担任した右三年生の非行に関して家庭裁判所から学校照会があり、これに対する回答の記載について教務主任から二、三度相談を受け、結局、第三学年の欄を空欄にして回答したこともあつた。もつとも、家庭裁判所から照会のあつたことについて、原告久保に問い合せることはしなかつた。

以上のとおり認められる。そして、右認定事実によると、生徒指導要録は学校教育上一応重要な書類というべきであり、原告久保が、校長からの督促は提出直前の一回だけであるとしても、担当係から何度か督促を受け、職員室には「未提出」の表示も掲げられていたのに、その提出をほぼ一か年も遅延したことは、卒業期前後の事務多忙を考慮しても、合理的理由がなく、明らかに怠慢のそしりを免れない。しかも、そのために、三年生全体の指導要録の整理も遅延させる結果をもたらした。もつとも、家庭裁判所への回答については、原告久保と連絡をとりさえすれば比較的容易に解決しうる問題であると考えられるから、これを原告久保の指導要録提出遅延の支障として重視するのは妥当でない。

(三) 指導要録原本とその抄本との記載の不一致

成立について争いのない乙第三七号証の一・二、証人桑原昌治の証言、原告久保本人尋問の結果(ただし、前記および後記採用しない部分を除く。)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 原告久保は、指導要録作成のため、生徒の出欠、行動、成績等を一覧表とした資料を作成していたが、前記のとおりその作成が遅れ、高校に進学した生徒については指導要録抄本を早急に各進学先高校に送付しなければならなかつたので、右資料を基礎として当該生徒の抄本だけを作成した。そして、その後に右資料を基礎として原本を作成した。

(2) ところで、別表第三の諸月二郎、上村栄治、長瀬陽子(ただし、事実の記録欄)、内野敏正および石井唯夫の指導要録原本と抄本との不一致については、原告久保が抄本を作成する際、進学先高校に当該生徒の良い面を強調したい気持から、右基礎資料以上にふえんして説明し、あるいは、記憶に基づいて付加するなどしたことによるものであり、荒川広子、長瀬陽子(ただし、評定欄)、竹内輝子、梅岡英則(ただし、標準検査等の記録および学習の記録欄)および柳井武(ただし、出欠の記録欄)の原本と抄本との不一致については、抄本作成の段階で基礎資料から写し間違えたことによるものである。また、藪田省司、生島功、梅岡英則(ただし、学籍の記録欄)、山本和明および柳井武(ただし、行動および性格の記録欄)の原本と抄本との不一致については、前担任者が記入した事項に誤りや変更等があつたので、抄本には訂正したものを記入したが、原本には、これを失念し、かつ、前記のとおり木脇校長の督促を受けて点検しないまま提出したので、従前の記載のままとなつたことによるものである。ことに、山本和明については、基礎資料に基づいて保護者を藤田浪雄(伯父)と記入した関係で備考欄に実父母はいるが、右藤田方に養子という形で小さいときからいる旨の説明を加えたのに、原本の保護者の記載を山本秋夫(父)のままにしておいたことによるものである。

(3) 進学先高校に送付された指導要録抄本は、重要書類として、当該高校で保管するが、現実の利用状況については、当該高校独自に生徒の性向査定を行なうから、その生徒が高校一年の途中で問題を起し、高校側でまだその生徒の性向を十分に把握していない場合以外は、それほど利用しない傾向にある。

以上のとおり認められる。そして、右認定事実によると、原告久保の指導要録作成態度には放逸な面がうかがわれ、誤つた内容の指導要録抄本が生徒の進学先高校に送付される結果となつたが、それによる現実的影響はとくに見受けられなかつたものと考えられる。

(四) 昭和三九年七月七日午後の職場離脱

前記認定の原告久保の職場離脱の経過に鑑みると、原告久保の態度に強引な面がなかつたわけではないが、原告久保が勤務を離れること自体については山本教頭も認めており、その手続問題で見解が相違したにすぎないから、休暇願いを出さないで職場を離れたことをもつて、重大な規律違反と考えるべきではない。

(五) 昭和四〇年一月一四日および一六日の職場離脱

教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならないのであり(教育公務員特例法第一九条第一項)、その研究は、当該教育公務員の担当する教育活動に直接関連する教育研究をすることであつて、当該教育公務員の職務内容に当然に含まれるものと解するのが相当である。そうであるからこそ、教育公務員には研修の機会が与えられなければならないとともに、とくに教員は、授業に支障のない限り、本属長の承認を受けて、勤務場所を離れて研修を行なうことができるものとされている(同法第二〇条第一・二項)。ところで、地方公務員法上の研修は、任命権者が行なうものとされるが(地方公務員法第三九条)、教員の場合には、教育公務員特例法の右趣旨に鑑み、とくにいわゆる校外自主研修を認めたものと解すべきである。もつとも、右勤務時間内の校外自主研修に対して本属長(中学校の場合には、校長と解される。)が承認をするか否かは、その自由裁量であるとも解しうるが、それでは同法が自主研修の機会を保障した趣旨を没却してしまうことになるから、本属長は、授業に支障がなく、また、当該自主研修の内容が研修制度の目的を逸脱するものと認められる場合でない限り、できるだけその承認を与えるようにするのが相当である。また、研究会に参加する形での研修も自主研修に含まれることは当然であり、日教組主催の教育研究集会については、それが一面では組合活動の性質を有することは否定しえないとしても、教育専門職員の集りとしてその内部で教育上の諸問題の研究討議を行なうものである限り、研修に該当するものといわなければならない。

そして、前記原告久保の本件教育研究集会への参加の経緯によると、木脇校長は、原告久保が年次有給休暇願いを出せばこれを承認するとしていたのであるから、原告久保が勤務場所を離れることについて、特に授業への支障はなかつたものということができる。また、本件教育研究集会自体を教員の自主研修として不相当とすべき事情もうかがえない。のみならず、前掲甲第一七号証、証人山村信男の証言ならびに原告原田および原告久保各本人尋問の各結果(ただし、いずれも前記および後記採用しない部分を除く。)によると、厚南中学校では、従来、日教組主催の教育研究集会への参加について、研修出張や特別休暇の扱いが認められてきたので、原告久保は、木脇校長の特別休暇承認拒否を自分だけの問題ではないものと考え、同校長の要求する年次有給休暇願いを出さないで本件教育研究集会に参加したことが認められ、証人恵羅大典の証言(第一・二回)中右認定に反する部分は採用することができないし、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

以上の事実に照らすと、原告久保が木脇校長の承認を受けないで本件教育研究集会参加のために勤務場所を離れたことは、実質的に見て違法性が少ないものといわなければならない。

(六) 昭和四〇年二月三日の無断欠勤

前記認定の原告久保が原子力潜水艦入港反対デモに参加するにいたつた経過によると、原告久保としては、当該デモに参加するため勤務場所を離れることについて、少なくとも電話をして校長もしくは教頭の了解を受ける時間的余裕はあつたものというべきであるから、これすらしないで欠勤したことは、明らかに原告久保の怠慢であるといわなければならない。のみならず、原告久保の欠勤によつて、その当日の原告久保の担当教科について急拠補教を割り当てることになり、学校運営にも影響を与えた。

2  その他の事情について

(一) 前掲甲第二〇号証および原告久保本人尋問の結果(ただし、前記採用しない部分を除く。)によると、原告久保は、出勤のつど備え付けの出勤簿に押印はしておらず、ことに、日教組が出勤簿押印拒否の方針をとつていたので、昭和三九年五月九日以降は全く出勤簿に押印をしなかつたことが認められる。

しかし、この問題は、結局は、前記原告原田の場合と同様のことが指摘できるのであつて、この事実から、原告久保の平素の勤務態度が不良であつたものとするのは相当でないといわなければならない。

(二) 証人山本一男(第一・二回)の各証言(ただし、前記および後記採用しない部分を除く。)によると、昭和三八年度の全国学力調査において、原告久保の担任の生徒の答案にかなりのいわゆる白紙・無記名のあつたことが認められる。

しかし、右各証言のほか、証人山村信男および同丸田徹矢の各証言、原告多治比本人尋問(第一回)の結果(ただし、いずれも前記採用しない部分を除く。)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、厚南中学校では、昭和三八年度全国学力調査のときにも、原告久保の担任学級に限らず、他の学級においても白紙・無記名答案が提出され、しかも、採点の段階で山本教頭らもその事実を知つたが、これについて統計をとつたり、職員会議等でとり上げたことはなく、原告久保に対してその旨を知らせ、白紙・無記名答案を出したことについて生徒指導をするように指示・助言を与えることもしなかつたことが認められ、証人山本一男(第一・二回)および同恵羅大典(第一回)の各証言中、右認定に反する部分は、にわかに採用することができないし、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

そして、右認定事実からすると、当時の厚南中学校としては、いわば外来的な学校行事である学力調査を終えたという気持から、白紙・無記名答案があつたことを事後にとり上げて教育上の問題とするつもりがなかつたものと考えられる。したがつて、これを原告久保に対する処分の相当性を基礎づけるものとして考慮するのは、妥当を欠くものというべきである。

(三) 成立について争いのない乙第四五号証、証人恵羅大典の証言(第一回)、原告原田および原告久保各本人尋問の各結果(ただし、いずれも前記および後記採用しない部分を除く。)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

原告久保は、昭和三九年四月四日、厚南中学校において、新年度の企画委員会が終了した後慰労会が開かれ、その場で山本校長らとビールをコツプに数杯飲んだところ、県教組宇部支部から、教職員の年度末人事について市教委に急拠団体交渉を申し入れることになつたとして、右交渉への参加を要請された。原告久保は、当時、支部執行委員であつたので、右慰労会の席を中座して直ちに市教委におもむいた。ところで、同支部の意図した右団体交渉の目的は、市教委が教職員の年度末第二次異動について同支部との協議をことさら回避してきたものとして、これに抗議をするためであつた。そして、右団体交渉は午後三時ごろから開かれたが、原告久保は、その席上で、市教委側の恵羅学校教育課長らに対し、机をたたいたり、大声でかつ不穏当な言辞をもつて抗議を続け、また、その場にいた宇部時報記者との間でも衝突を起こしたので、同課長は、その言動を数回注意した後、午後五時四〇分ごろ、原告久保に退場を命じた。

以上のとおり認められ、前掲乙第四五号証および原告久保本人尋問の結果中右認定に反する部分は、にわかに採用することができないし、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

そして、右認定事実から考えると、市教委との団体交渉の場に酒気を帯びて参加すること自体不謹慎のそしりを免れないが、原告久保の場合には、かなりやむをえない事情があつたものとみるべきであり、かつ、その量も交渉に影響を及ぼすほどのものとはいえないから、酒気帯びの点を重大視するのは相当でない。しかし、右団体交渉が抗議の目的で開かれたものであるとしても、そこには、教育公務員としての自覚と節度があつてしかるべきであり、当日の原告久保の態度はこれを欠くものがあつたといわざるをえない。

(四) 原告久保が、昭和三九年五月六日、市教委から、同年二月二七日の定員闘争の統一行動に参加して無断で職場を離れたことを理由に、訓告を受けたことについては、当事者間に争いがない。

しかし、前掲甲第一九号証の一・二、証人山本一男の証言(第一回)および原告多治比本人尋問(第一回の結果(ただし、いずれも前記および後記採用しない部分を除く。)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

厚南中学校では、組合員が五派に分れ、五日間にわたる定員闘争に参加した。これについて、山本校長は、四日目まではその参加者に対して無条件で年次有給休暇の承認をしていたが、最終日に参加する者に対しては、その人数を減らすように要求した。しかし、組合員側は、参加者全員の休暇承認を要求し、話し合いがつかなかつたので、一応結論を保留し、翌朝に返事をすることとした。ところが、組合員側は、同校長が承認したものと考えて、最終日の定員闘争に参加した。そして、当該参加者については、当日の校務日誌に休暇をとつた者として記載されたが、山本教頭は、全員に承認があつたものと考えて同日誌の閲覧印を押し、その後、山本校長もこれに押印をした。しかるに、市教委は、最終日の参加者に対し、前記争いのない事実のとおり訓告をした。

以上のとおり認められる。そして、右認定事実によると、山本校長としては、年次有給休暇について、当初は承認をしなかつたが、事後的にこれを承認したものと解するのが相当であり、これに反する証人山本一男および同恵羅大典の各証言(いずれも第一回)部分は採用することができない。したがつて、実質的な規律違反はなかつたものと見るべきであり、前記訓告自体不当なものといわなければならない。

(五) 原告久保が、昭和三九年六月二〇日の職員朝礼において、山本校長に対し、「職員の気持を踏みにじつてもいいのか。」などとどなつたことについては、前記認定(第二・二・2・(一)・(4))のとおりである。そして、右発言の経緯に照らすと、原告久保は、山本校長の予想外の早期職務命令書配付に怒つて、衝撃的に右発言をしたものと理解しうるが、措辞および態度とも穏当を欠き、教員としての品位を疑わしめるものがあるものといわなければならない。

(六) 原告久保が、本件学力調査第一日目終了後の午後四時すぎごろ、他の組合員らとともに市教委におもむき、第二日目の学力調査の中止を要求し、午後一一時三〇分ごろまでその交渉をしたことについては、前記認定(第三・二・3)のとおりである。

しかし、右中止要求が必ずしも非常識な行為といえないことも、原告原田の場合の説示と同様である。

(七) また、原告久保の懲戒処分の適否の判断にあたつて考慮すべき事情として被告の主張する前項までの事情以外の事情(教育効果の破壊等)については、原告原田の場合と同様の理由(第三・二・4)により、原告久保の懲戒処分の適否の判断にあたつて考慮すべきではないものというべきである。

3  そこで、以上の懲戒処分事由の義務違反性の程度その他の事情を勘案し、原告久保に対する本件懲戒処分の適否について次のとおり考えるのが相当である。すなわち、まず、生徒指導要録作成上の義務違反および昭和四〇年二月三日の無断欠勤を除いた各懲戒処分事由については、当該違反行為をするについて一面やむをえない点があつたともいえるし、その学校運営もしくは生徒に及ぼす影響も少ないものと考えられるから、当該違反行為の重大性および違法性ともに軽度のものということができる。

また、右生徒指導要録作成上の義務違反および無断欠勤については、学校運営に現実に支障を与えたものであつて、これを軽視しえないものといわなければならない。しかし、生徒指導要録作成上の義務違反についてみると、その現実に与えた支障もその間事務整理ができなかつたことにとどまるのであつて、教師本来の職務である生徒の教育を著しく怠つたものではないし、また、無断欠勤も一日にすぎず、学校側で補教の措置をとつているから、その生徒の学習に及ぼす影響もわずかにすぎないものといえる。したがつて、右の各義務違反についても、教育公務員として重大悪質な義務違反であるとすることはできないものというべきである。

他方、原告久保の本件懲戒処分事由自体や市教委との団体交渉での言動等の事情から、原告久保には、規律に対して安易放逸な面がうかがわれ、上司等に対する態度にも教育公務員として穏当を欠く点を指摘することができる。

ところで、懲戒免職処分は、公務員の義務違反等を理由として当該公務員の身分を一方的に奪う最も重い懲戒処分であるから、それに相応しい最も重大かつ悪質な義務違反に対してなされるべきである。しかるに、原告久保の懲戒処分事由は、前記のとおり、いずれもさほど重大かつ悪質なものとはいえないのであつて、原告久保の右性格等を考慮してもなおかつ、右程度の事由に対しては他の懲戒処分によつても十分にその訓戒的効果を得ることができるものと考えられるから、右懲戒処分事由を理由として原告久保を懲戒免職にすることは、社会通念上著しく妥当性を欠くものというべきであり、他にこれを相当とすべき事情も見あたらない。したがつて、原告久保に対する本件懲戒免職処分は、被告において懲戒権行使の範囲を逸脱するものとして、違法であるといわざるをえない。

第四結論

以上のとおりであるから、本件処分は、すべて違法であり、したがつて、いずれもその取消しを免れないものといわなければならない。

よつて、原告らの本訴請求は、すべて正当であるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 荻田健治郎 北村恬夫 平手勇治)

(別表省略)

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